ISOWAの守護神 竜神様の月次祭。
今日も私は、ISOWAの旧本社だった自宅のお社の前で、お参りしました。
先月の月次祭で、先生が、
「ISOWAさんの百周年記念誌頂いて、読みだしています。
なかなかのものですね。楽しみに読ませてもらいます」
と言われてたけど、今日、
「全部読ませてもらいました。
第三者として毎月訪問して会社を見てきて、祭礼に関わる社員さん、
参列する社員さんたち、みんな動きがキビキビしてる。
だからそれなりに理解していたつもりだけど、いや~あそこまで
継続してやっているとはすばらしいですね」
ってあの300ページ以上あるもの! 驚きましたし、本当にうれしかったです。
「社員さんたちにも、
『あなたたち、こういう考えるってことをさせてもらえる場は
なかなか与えてもらえないよ。幸せだね。感謝せにゃいかんよ』
と言いました。そしたら
『でも大変です』
って言ってました」
もちろん 誰がそんなこと言ってたか ちゃんと聞き出しました・・・ ウソです
考えることは大変です。だって普通にこなすだけなら、自分の頭で考えなくても仕事は
できるから。
今日、スコラさん主催のオンラインによる『柴田昌治と考える経営者セミナー』に参加
しました。 参加者8人限定でした。
柴田さんが、
「社長って、あまり褒められることありませんよね。
どうです、みなさん?」
と聞かれたので、
「私はありますよ」
「ほ~、誰から?」
「まずは嫁さん。
そうそう、神主さんにも褒められます」
「」
と今朝の上原先生とのやり取りを紹介しました。
セミナーでの問いのひとつに、
「自分の頭で考えるとは?」
がありました。
みなさんならどう答えます。
私の答えは、
「自分の頭で考える」の対概念は何だろう?
それは「他人の頭で考える」かな。
「他人の頭で考える」とは 物まね、借り物ってことかな。
であれば自分の頭で考えるとは、一般的な正しい答えを
当てにいったり、探そうとするんじゃなく、徹底的に
自社の文脈に落とし込んで自分なりの仮説を決めること。
でした。
だから「大変」っていえば「大変」です。
でもそういう癖を付けないと、脳はどんどん退化していく。
考えることを趣味化して、「大変」を楽しめるようになろう!
あ、早速私も自分の頭で考えて、こんな服装で上半身のみ参加しました
あんまり考えてない?
> であれば自分の頭で考えるとは、一般的な正しい答えを
> 当てにいったり、探そうとするんじゃなく、徹底的に
> 自社の文脈に落とし込んで自分なりの仮説を決めること。
自分の考え方を振り返ってみたとき、よい意味でグサッと
胸にささりました。
自分の考え(=A)を持つことはよい、が!独りよがりの考えに
ならないように、周りとよく相談&協議する(も読む)。
その結果整理/発展させた自分の考え(=A')が、一般論の段階で
留まっていては、まだまだ不十分。
自分/自社を取り巻く特定の文脈にしっかり位置付けて
考えてこそ、A'は初めて「自分の考え」となる、
ということなのでしょうか(と理解しました)。
これも「他人(英之さん)の頭で考え」て頂いたことなので、
単なる分析になってしまっていますが、
(より深く)「考える」という行為について、気づきを頂いた
気がします。
私のイメージとしては、
他社事例をまず一旦抽象化する。
一般化する。この部分も自分の
頭で考えるってことかもね。
それが偶然自社に照らし合わせて
そのままフィットするなら、それは
それでラッキー!
ただ大抵の場合、そのままではフィット
しない。ある時は一部を改良すれば
フィットすることもある。ある時は
一般論をどう変形させても自社に
フィットしないこともある。その時
こそ自分の頭で考える。
どうでしょう?
「抽象化(一般化)」 と
「具体化(特定文脈への落とし込み)」
の間を行ったり来たりする過程も含め、
まず自身の頭で考え抜く、ということに
尽きるのですね。
そこを踏まえた上で…
「自分の頭で考える」という行為の中に、
「他者との対話」や「他者の意見」を
どのように取り入れるのか、もうちょっと
モヤモヤしてみようと思います。
そう、そんな風に 自分の頭で考えよう!