岡山城といえば白い姫路城に対し、黒い岡山城ですが、かくれたスポットは「石垣」です。
岡山城は宇喜多秀家が1597年大改修完成、その後小早川秀秋、池田忠綱と整備しました。
岡山城天守台からスタートします。
1周5~10分位で行けます。
野面積(のづらづみ)です。
右の写真は「六十一雁木門横の石垣」です、池田氏が下の段の整備をしました。
グングン歩いていきます。
「本段東側の高石垣」左側は秀家が築いた石垣でその隅角を秀秋が石垣を継ぎ足して直線部に改修しました。
左の秀家はキッチリして安定性のある大きな石材」比べて、右の秀秋の石垣は人生そのものの優柔不断な丸い石が粗雑につまれているのがよくわかります。
「本段南側の高垣」は秀家が築き本来の高さは15.6mもあり、関ヶ原合戦前までは全国屈指の石垣でした。
「不明門下の石垣」右隅の秀家の石垣に被せられて造られてます、その後の改修もよくわかる石垣です。
さすがに「石垣」だけの写真だと同じに思えてきました。
「大納戸檜台の石垣」秀秋が築き池田氏改修です。
上にあった大納戸檜は長さ20m三階建ての雄大な建物でした。
「月見檜下の石垣」1620年池田忠雄・・
記事書いていてなかなか「石垣」だけでの記事は難しいね。
最後に画像も楽しんでね
岡山城は宇喜多秀家が1597年大改修完成、その後小早川秀秋、池田忠綱と整備しました。
岡山城天守台からスタートします。
1周5~10分位で行けます。
野面積(のづらづみ)です。
右の写真は「六十一雁木門横の石垣」です、池田氏が下の段の整備をしました。
グングン歩いていきます。
「本段東側の高石垣」左側は秀家が築いた石垣でその隅角を秀秋が石垣を継ぎ足して直線部に改修しました。
左の秀家はキッチリして安定性のある大きな石材」比べて、右の秀秋の石垣は人生そのものの優柔不断な丸い石が粗雑につまれているのがよくわかります。
「本段南側の高垣」は秀家が築き本来の高さは15.6mもあり、関ヶ原合戦前までは全国屈指の石垣でした。
「不明門下の石垣」右隅の秀家の石垣に被せられて造られてます、その後の改修もよくわかる石垣です。
さすがに「石垣」だけの写真だと同じに思えてきました。
「大納戸檜台の石垣」秀秋が築き池田氏改修です。
上にあった大納戸檜は長さ20m三階建ての雄大な建物でした。
「月見檜下の石垣」1620年池田忠雄・・
記事書いていてなかなか「石垣」だけでの記事は難しいね。
最後に画像も楽しんでね