サン・フランチェスコ教会前の小さな広場の北側は小さな林になっていて、
ガリバルディ広場方面へ抜ける近道になっています。
林の出口には小さなロッジアがあり、その脇にラヴェンナではめずらしい白い色の小さな建物があります。
これがダンテの墓が置かれている建物です。
日本では、ダンテはそれほどなじみのない人物ですが、
イタリアでは誰もが知っている有名な歴史上の人物です。
ダンテはフィレンツェの出身ですが、
中世にはどの都市でもあった教皇派と皇帝派の争いにより、
フィレンツェに戻ることができなくなってしまいます。
あちこちの都市を渡り歩きながら最後に身を寄せ、
「神曲」を書き上げ、そして息を引き取ったのが、
ラヴェンナなのです。
郷土意識の強いイタリアでは、
ダンテの遺骨を納める場所について、
長い間フィレンツェとラヴェンナの間で争いがあったそうです。
フィレンツェのサンタ・クローチェ教会で
“ダンテの墓”を見たことがある人も多いでしょう。
フィレンツェで見るダンテの肖像画や像は、
どちらかといえば 強固な意志を持った
「政治家」ダンテの印象が強いものでしたが、
この墓所のレリーフは「悩める文学者」風です。
まるで、2つの町の人々がダンテに対して抱いている
イメージの違いが現れているようです。
いずれにしても、
時の権力者や聖人といわれた人を除いて、
これだけお墓がよく知られ、
また特別扱いをされているのは、
イタリアではダンテの他にはいないのではないでしょうか。
神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1) | |
ダンテ | |
河出書房新社 |
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