仙台と藤村
藤村の下宿先が名掛町三浦屋であったことは聞いていました
その事について東北学院の記念誌「島崎藤村と東北学院」を読んでみました
藤村はM29年に「日本作文」と「訳読」の担当教師として來仙。それまでに悲しい遍歴があったようですが 仙台で「自分の生涯の夜が明けて行くような心持」を
味わったと 折々の作品の中に書いているそうです 若菜集は仙台で書かれた作品でその中の「草枕」「潮音」「松島瑞巌寺に遊び葡萄栗鼠の木彫りを観て」等は 私たち仙台人の心に留めて置いたらいいと 講師からのお奨めがありました(藤村の仙台滞在は たった1年でした それなのに多くの作品の原点は仙台にあると言っていることに郷土の誇りを感じますね)
そこで私は若菜集を手に取りました 表紙の題 若菜は単に菜の花と思いましたが 題の意味は 若菜は季語であり 藤村は 若菜の芽が萌え出る様にと自分の詩作への思いがあってつけたそうですね 全然違う解釈をしていましたから・・・また表紙の蝶にも意味があって それは交友のあった北村透谷を慕う気持から中村不折に依頼したものである事を知り私にとっての発見でした その辺のことは作品を読むと深く思い巡らす事ができます 北村透谷と蝶もその作品に触れて味わうといいと思いますます こんな風に私は「ふるさと文学講座」で 本を読む楽しみを見出しています
藤村の下宿先が名掛町三浦屋であったことは聞いていました
その事について東北学院の記念誌「島崎藤村と東北学院」を読んでみました
藤村はM29年に「日本作文」と「訳読」の担当教師として來仙。それまでに悲しい遍歴があったようですが 仙台で「自分の生涯の夜が明けて行くような心持」を
味わったと 折々の作品の中に書いているそうです 若菜集は仙台で書かれた作品でその中の「草枕」「潮音」「松島瑞巌寺に遊び葡萄栗鼠の木彫りを観て」等は 私たち仙台人の心に留めて置いたらいいと 講師からのお奨めがありました(藤村の仙台滞在は たった1年でした それなのに多くの作品の原点は仙台にあると言っていることに郷土の誇りを感じますね)
そこで私は若菜集を手に取りました 表紙の題 若菜は単に菜の花と思いましたが 題の意味は 若菜は季語であり 藤村は 若菜の芽が萌え出る様にと自分の詩作への思いがあってつけたそうですね 全然違う解釈をしていましたから・・・また表紙の蝶にも意味があって それは交友のあった北村透谷を慕う気持から中村不折に依頼したものである事を知り私にとっての発見でした その辺のことは作品を読むと深く思い巡らす事ができます 北村透谷と蝶もその作品に触れて味わうといいと思いますます こんな風に私は「ふるさと文学講座」で 本を読む楽しみを見出しています