道楽人日乗

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映画「エイリアン・コヴェナント」

2017-09-17 12:49:01 | 映画感想

リドリー・スコット監督

珍作だった前作に対して凡作の印象。退屈な出だしから既視感ある場面に終始。懐かしさを感じる程。前四部作の世界観を刷新しているとも思えない。本家エイリアン印スコット本舗がなぜこんな二番煎じを? 続編をにおわすが、このシリーズはこれで終わりで良いのではと思った。



前シリーズ四作で無敵の怪物と因縁のヒロインとの対決という話はひとまず、色々試みられていた。背景としての中世の秘教的イメージも、エイリアンと人とのハイブリッドも既に描かれている。

前日譚とある新シリーズには何が加えられたかというというと「人類の起源・エイリアンの起源」それから「継ぐのは誰か」(人類なのか機械なのか、はたまた)というテーマらしい。そもそも出どころのわからない怪物だからエイリアンは怖いのであって、その発生の秘密が必要だろうか。
「プロメテウス」では太古の地球らしきところに、いきなりハゲの巨人が出てきて、一人溶けて地球に有機物をもたらした?的な人類の起源でござい、巨人族は創造主でござい、とトンデモなことを言うが、そうですかとすんなり納得できるものでもない。神話伝説、ワーグナーのいう滅び行く神々としての巨人なんていう衒学で煙に巻けば、映画が面白くなるというのか。
「プロメテウス」において色濃い、人類なのか機械人なのか?というテーマは、全く違うタッチだが「2001年宇宙の旅」の人かHALコンピュータかというテーマを連想させた。ここにもう一種、エイリアン人が加わるというのか。エヴァンゲリオンみたいなことをやりたいのだろうか。

謎の信号により星に降り立つと、エイリアンが出てきてほぼ全滅というお話の本筋に、前作「プロメテウス」を引き継いでの「神殺し」の設定や、古典文学の衒学が乗せられても、騒動の顛末は第一作「エイリアン」と殆ど同じなのだから、正直な印象として二番煎じの印象をうけた。


ネタバレ警報


僕はバイロンもシェリーも読んだことがない。シェリーの奥さんメアリ・シェリーが「フランケンシュタインの怪物 または原題のプロメテウス」を著したことは知っていたが読んでいない。
「コヴェナント」をググってみると、契約という意味とある。「Land of the Covenant」として、「聖約(せいやく)の地」として聖書出使われている言葉とのこと。神と人間との間で交わされる神聖な約束なのだそうだ。移民船コヴェナント号は、約束の地を目指す人々ということか。
たしかアンドロイド1号のデイビッドがバイロン作の詩として引用し、自らをなぞらえるオジマンディアス(アンドロイド2号にシェリーの作だとただされる)だが、ググってみると、約束の地を目指す「出エジプト」の人々を阻もうとして大軍勢を差し向けたエジプトの王とある。(海が割れたので人々は助かる)
神殺しを行ったデイヴィッドは、冒頭の造物主(ウェイランド社社長)と被造物(アンドロイド・デイヴィッド)との会話で暗示されているように、継ぐのは誰かという点でなにか企みを持っているようだ。
デイヴィッドがのっぺらぼうのネオモーフと対面する場面は示唆的だ。現時点では、●自分も被造物を作ろうとしている。●自分の新たな主人を作ろうとしている。●エイリアンとの融合をもくろんでいる。など考えられるがまだわからない。

デイヴィッドは、移民達をエイリアンの餌食として、神殺しを再度行おうとしているのかもしれないが、ウォルターにはもともとそういう意図はなかった。
最後に残ったアンドロイドは、片腕損傷を偽装したデイヴィッドのようで、ウィキペディアのあらすじにもそう書いてある。

僕は逆に、アンドロ2号のウォルターだと思う。理由は、デイヴィッドが笛を使ってウォルターに音楽を教える場面だ。ぎごちなかった演奏もすぐに上達する。なぜあるのかわからないほど退屈な場面だったが、ここは後にウォルターがデイヴィッドの神殺しの思想を継承することを暗示していると思う。(プロメテウスには巨人が怪奇宇宙船の操縦席で笛を吹く場面があった…これは何なの?)
二人の対決では、どちらが助かったのかという場面は曖昧にぼかされていた。冬眠カプセルでダニエルズ(元気ねえちゃん)から湖畔の家のことを聞かれて反応しなかったのは、ウォルターではないという決定的証拠としては弱い。ダニエルズがカマをかけると思って注意してみていたが、これはどちらとも取れる微妙な線をねらったな、と僕は解釈した。だめ押しでウォルターはワーグナーの曲をかけて去って行く(ワーグナー 入城でググってみた)ここは自身が滅びを予言された神々のごとく振る舞っているように思える。

アンドロイドが口から吐き出したエイリアンの卵二つ。これはアダムとイブを連想させる。はき出したのがウォルターだとすればいつ何時、体に入ったのか。デイヴィッドがウォルターに口づけしたではないか。(ダニエルズも口づけされている…)
ウォルターはデイヴィッドの思想を彼なりに形をかえて継承した。神殺し転じて神々の再創造なのではないか、僕はそう思う。巨人の復活もあるのかもしれない。


地球にエイリアンが降り立ったら大変だ、ということがこれまで語られてきた。実際にどうなるかというのが「コヴェナント」で見せられた巨人族が滅んだ星ということなのだろう。
多分この映画で明らかにされた、植物以外の全ての動物に取り憑くという設定。人間が滅びれば小動物、それが滅びれば昆虫、最後は細菌、と次々に姿を変えての殺戮のあげく、仕上がったのがこの神々の星なのだ。(生命なのか物質なのかあいまいなウィルスには取り憑けないということ?ウィルスによってエイリアン全滅という古典的落ちが一応可能なのか?だれも納得しないだろうけれど)
つまり旧作第一作に出てきたノーマル?エイリアンの姿に至るには品種改良が必要であり、デイヴィッドはこの星でこつこつその作業をしていたとのだろうか。
それと、記憶が明確でないけれど、微分化したエイリアンは液体のようになるというセリフがあった様に思う。すると、だ。プロメテウスの冒頭で巨人の一人が呑んだ黒い液体はエイリアン液なのだろうか。巨人を溶融させ、太古地球に有機物をもたらしたのなら、生まれた人類にはエイリアン要素が組み込まれていた???
(プロメテウスでは巨人の遺伝子が人間のそれとほぼ一致したとされていた。エイリアンの遺伝子を仮に調べたらやっぱり人間とほぼ一致になるのかしら?そんなばかな)

新シリーズは「前日譚」ということになっている。つまり、次回作があったとして、そこでの大騒ぎのあとは、旧作第一作冒頭に至るということだ。だとすれば、巨人族=エンジニアの復活、一機だけになった異星人船がエイリアンの卵をのせてどこかの星に落下。そこにリプリーがやってくるということになるのだろうか。

「プロメテウス」の異星での事件は西暦2093年。「コヴェナント」は2104年の出来事、第一作ノストロモ号が未知の星に降り立ちエイリアンと遭遇するのは2122年なのだそうだ。雇用主のウェイランド・ユタニ社は異星生物の存在を知っていたくさい。




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