隠れ念仏とは・・・・・・・・教科書にも載っていなかったと思います。
その昔、相良藩・島津藩・高鍋藩・琉球の地域では藩の政策で浄土真宗が300年余り禁止されていました。
1555~明治9年頃までのことだそうです。
その弾圧は、隠れキリシタンの数十倍もの規模だったそうです。
弾圧の対象は、浄土真宗(一向宗)だけで、仏教の他の宗派は信仰しても良かったとのこと。
藩はご門徒の結束力を恐れ、ご本山へ上納するお金が羨ましかったのではないでしょうか?
その当時のご門徒の信仰心は・・・
貧しくてもお念仏を忘れず・・・
ばれないように・・・・夜洞窟に集まってお念仏を称え
僧侶や僧侶の代わりをする“毛坊主”という方から親鸞聖人のみ教えを聴聞したり、
家の柱に切り込みをいれ蓋をして、お仏壇がわりに阿弥陀さまをご安置し、役人にばれないよう隠して大切に拝んでいたそうです。
この度の旅行で参拝した人吉別院や楽行寺さん(仏光寺派)では、“傘仏”や“まな板本尊”を拝見しました。
スライドして蓋をあけると、中にはご本尊や親鸞聖人のお掛け軸が隠されていました。
浄土真宗のご門徒だと疑われたり、思われないための細工だそうです。
弾圧を受けると解っていても、ご門徒は減らず増え続けたそうです。
役人から足の骨が砕かれる拷問を受け、改宗を迫られても親鸞聖人のみ教えを信じることに疑いをもたず改宗はしなかったそうです。
上記の写真は鹿児島別院にある“涙石”。拷問を受けるとき膝に乗せられた石だそうです。
当時のご門徒は浄土真宗だとばれるおそれがあっても、念仏をしご本山への寄進を喜びとしておられたそうです。
今まで「“涙石”とはどんな石だろう?」と聞いて想像をしていましたが 思ったより大きかったり小さかったり
やはり実際に見せていただき、聞かせていただけありがたいことでした。
信仰心を今一度考えさせられる参拝旅行でした。