まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

春濃霧そういう季節の到来か

2020年02月16日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 高松市東部では、低気圧や前線の影響で雨が降っていた。気温は11度から12度、湿度は98%から64%、風は0m8mからの西の風が少しばかり。明日の17日の香川県は、冬型の気圧配置が次第に強まるため曇り、夜は雪の降る所がある見込みらし。

 

 98/44/80 36.4c-99% 66.5Kg 今日も高松は一日、このようなお天気が続いた。明日でいよいよ70日になる。そろそろと最終段階にしたいものだ。

 

 で、今日は日曜日。することもやらねばならないこともない。来客が5人ほど来ただけで変化はない。ただ、寝てごろごろとするばかり。

 

 相変わらず、両手や両足は湿疹がでてかゆいばかり。ドクターが抗生物質をだしてくれたので、看護師が塗りたくってくれたが、そうそう、楽にはならない。

 

 点滴の跡がそのままのこっているばかりで、手足も汚く見える。まだまだ、点滴も透析も残っているみたい。たってき、明日の午後からも透析が待っているみたい。お昼からは病院の売店、オアシスプラザに行ってきた。まだ、一人ではお出かけは禁止状態。必ず、看護師さんの車いすに乗ってのお買い物である。

 

 ここで、のど飴とか野菜ジュースとかを仕入れておく。うちのフロアには自販機がない、だから何もかもが不自由極まりない。移動販売車がやってくるのは、火曜日と木曜日だけ。

 

 そんなこんなで日曜日の午後は更けていく。退屈な日曜の夕方だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「老病死は自然である その老病死する事実に向き合わず逃げ回っている我々の姿を無明という」という、赤松先生のお寺にあったことばから。生まれたいのちは、その瞬間から「老病死」を抱いて生まれている。それが全てのいのちに共通する自然である。その事実に向き合わずに、自分だけは死にたくない、老いたくない、病になりたくない・・と、逃げ回っている姿を「無明」というのである。無明とは仏教語で、邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知のことを言う。最も根本的な煩悩で、十二因縁の第一、三惑の一とされている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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