北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

2011年を振り返る(中) 震災と原発

2011年12月30日 09時32分29秒 | つれづれ日録
承前。画像と文章は関係ありません)

 ためしに、10年前でも25年前でも40年前でもいつの年でもいいのだが、新聞の社説なり、総合雑誌の論文なりをめくれば、そこには
「今が転換期だ」
「時代は岐路を迎えている」
「世界は大きな変化のときを迎えている」
といった趣旨の文を見ることができるだろう。
 そんなにしょっちゅう変革期や岐路があったらたまらないと思うし、冷静に振り返ってみれば、ほんとうの意味で日本の歴史が大きく動いたのは、1945年の戦争敗北と、73年の石油ショック前後の変化ぐらいしかないのであって、あとは、5年や10年の単位でみればそれなりの動きはあっただろうけど、日本を根底からひっくり返すような出来事はそれほど起きていない。
 当たり前なんだけど。

 人は、じぶんが生きている時代の出来事を、実際より大きく深刻なものだと思いがちである。

 なぜか。

 じぶんが生きている時代の出来事が、大きくて深刻で、画期的なものであってほしいという欲望を抱いているからである。

 ひとりひとりが、変化する時代を生きているということに、自分の生の意味を見出そうとしてしまうからである。




 かつて、日本人は「家」の観念にしばられて生きていた。

 しかし、逆にいえば、「家」という枠組みの中では、じゅうぶんに自己実現をはかることができた。

 人間は、属する集団が小さければ小さいほど、自分の意見が通りやすく、自己実現がしやすくなる。
 故郷のマチが人口5千人だとしよう。もちろん、そこを変えることは、けっして容易ではない。しかし、その気になれば、沈んでいた町を活気づけることは不可能ではない。それが、300人の会社、4人の家族であれば、あなたが活躍できる場所と余地はますます大きくなる。

 反対に、帰属する集団が大きくなるほど、人は、成功したときの喜びが大きくなる半面、大多数の人間にとっては無力さを感じさせることが増える。

 昔は、成員が何万、何百万という集団は、人の脳裡にはほとんど浮かんでこなかった。
 自分の「家」や、ムラのことには注意をはらうが、日本全体がどうこうということは、大半の人にとって意識になかったのだ。

 近代となり、経済圏の規模が拡大するとともに国民国家が成立する。
 人が勝負するフィールドは、数百、数千の単位から一気に1億へと広がる。
 そこで、自分の「オンリーワン」の価値観を見いだすことは、かなり難しい。



 さて、話は東日本大震災と東京電力福島第一原発事故である。

 両者がきわめて大きな出来事であったことを、否定するつもりは、筆者には全くない。

 しかし
「ここから時代が全く変わった」
的な言説を目にすると、その半ばは
「そういう時代に生きている自分、時代の変化に気がつく自分を、肯定したいだけなんじゃないか」
という気が、ちょっとだけするのだ。

 人は、天下泰平の世で生きるよりも、乱世の生のほうが、価値があると思ってしまうところがあるのではないか。
 「時代の区切り」が、自分の生を意義あるものにするという発想が、無意識にあるのではないのか。

 平時であれば坂本龍馬も西郷隆盛も平凡な人生をおくっていただろう。
 彼らは非常時だからこそ輝いた。
 彼らの活躍に、時代小説やテレビドラマで触れることで、人は自らを、英雄に重ね合わせて楽しむのかもしれない。

 だけど…。 
 筆者は、とりあえず言っておきたい。

「だいじょうぶだって。
 アンタの名前がテレビで何度も流されて有名になることも、教科書に載ることも、たぶんないから。
 だからといって、アンタが生きる価値が無いなんてことは、ぜんぜんないから。
 人は、生きているだけで、意味と価値があるんだってば」


 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故がどれほどの出来事であったのかは、もう少し歴史の針が歩みを進めてからでないと、わからないのだろう。

 ただ、筆者は、福島第一原発事故の危険性を声高に叫び、いまにも日本中が放射性物質に汚染されて何も食べるものがなくなってしまうかのようなことを言い立てる人が、ほんとうに被災者のことを思って叫んでいるのかどうか、疑問なしとしないのだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。