北海道美術ネット別館

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■ワルシャワ。灰の中から甦る不死鳥(2024年8月6~31日、札幌)などー8月21日のギャラリー・美術館巡り(1)

2024年08月23日 19時42分00秒 | つれづれ日録
 テレビの気象情報が
「今週晴れるのは21日だけなので、有効活用してください」
とくりかえすので、外出することにしました。

 まず訪れたのが、さっぽろ天神山アートスタジオ。 
 
 森田真希さんの短編映画「CHORUS」が、1階奥の和室で上映されています(24日まで)。

 自分の祖母にあてた手紙を、日本語と英語で読み上げる女性の声をバックに、主人公の女性が、手紙を入れる大きな封筒を持って天神山周辺や地下鉄南北線車内を歩く映像が流れます。
 この大きな手紙は郵便ポストには入らず、結局最後まで出せずじまい。

 和室を見渡すと、床の間に、映画に登場していた白い封筒が置いてありました。

 事務用ではなく、横書きの便せんを入れる封筒が巨大化したもので、これが出てこないと、作品全体が単なるお涙頂戴的なものになりかねないので、重要な存在だと思います。

 ただし、個人的なことを言えば、自分の祖母は半世紀以上前に亡くなったので、ちょっとピンとこない部分がありました。
 

 いつもは澄川駅から地下鉄に乗るのですが、この日は南平岸駅へ。
 830円の「1day きっぷ」を買いました。
 
 大通で降りて、まずパルコの全館で展開中の「GRAPHIC BEACH」。
 グラフィックデザイナーがエスカレーター横などの空間を利用して、さまざまな作品を展示していました。

 3階の川尻竜一さん「養生バーム」は、ヤシの木の絵なのですが、養生テープという素材がおもしろい。たしかに、後に残りません。HMC(寺尾功司・Ren)はビーチコーミングの手法で、訪れた人に静かに訴える作品。
 8階の小島歌織さん。このビルにかつてあった書店、パルコブックセンターのカバーを用いた作品。カバーを久しぶりに見て、懐かしかったです。カバーのデザインは日比野克彦なんですね。




 となりの大丸藤井セントラル7階スカイホールに行くと、JAGDA北海道企画展のポスター展で、参加しているデザイナーがけっこう重複していたのが、むしろおもしろかったです。
 テーマは「凹凸」。25日まで。

 さいとうギャラリーでは、札医写真クラブ・αフォトコミティ合同写真展など。

 
 東西線に乗って西11丁目で降り、札幌市資料館へ(SETの夏休み展/道(みち)岩倉与志衛 写真展/ワルシャワ。灰の中から甦る不死鳥)

 「ワルシャワ」は8月を通して開かれているパネル展で、4室を用いた大規模なものです。
 筆者は高校生のとき、アンジェイ・ワイダ監督の映画『地下水道』を見たので、1920~40年代のポーランドの首都がたどった運命についておおまかには知っていましたが、ナチスによる破壊行為のすさまじさを写真と文章などで知り、言葉を失いました。
 とくに、終戦時にワルシャワを空撮した映像がありましたが、大半の橋が落ち、市街地の8割以上ががれきの山と化していたのには、驚きました。
 東京も焼け野原になりましたが、1945年8月でも大半の電車は運転されていたことを思えば、ワルシャワの破壊はさらに徹底していたといえます。
 
 1939年9月に勃発した第2次世界大戦でポーランドはナチスドイツとソヴィエトという二つの全体主義国家に分割されました。何十万というユダヤ人が連れ去られ、殺されました。ポーランド人が戦前までユダヤ人と平和に暮らしていたことまで批判され、罪に問われました。
 ポーランド人をはじめスラブ系は、食糧配給などで差別され、土地を追われ、そこにはドイツ人が入植しました(戦後イスラエルがパレスチナでしてきたこととよく似ています)。

 そんな過酷な状況でも、地下新聞を発行し、宣伝用の映画を撮り、乏しい武器を手にゲリラ戦を戦ったポーランド人の不撓不屈さには脱帽せざるを得ません。

 ただ1点だけ不満を述べれば、次のことに言及がなかったのは残念です。

 第二次世界大戦によって、東京と同じように、あるいはそれ以上に完全に破壊されたワルシャワは、その破壊された歴史的中心部を厖大ぼうだいな費用を投じて、原形のままに再建した。古い街の廃墟はいきょに、戦前よりもはるかに健康的で、はるかに効率的な新しい市街をつくることは、寸分たがわず旧市街を再建する費用の何分の一かで、十分に可能であったはずである。それにもかかわらず、ワルシャワ市民は、えて「進歩」よりも都市の個性と歴史とをえらんだのである。


 加藤周一『日本美術の心とかたち』の一節です(平凡社ライブラリー「加藤周一セレクション」4、436ページ。ルビは引用者)。

 ワルシャワが「不死鳥」であると形容したいのなら、この史実こそ日本語で伝えてほしいと思いました。
 もちろん、都市づくりにおいて、日本が0点でポーランドが100点だというつもりはありません。
 ただ、ポーランド人の執念は見習うべきところがあるし、日本人は都市の歴史にもう少し敏感でもいいのではないかとは考えます。
 
 
 昼食は、コンチネンタルビル地下の肉そば処で「炙り牛カルビのお蕎麦」大盛り。980円。


 この後、道立近代美術館まで歩き、国宝鳥獣戯画と京都高山寺展を見ました。
 丙巻・丁巻の前半です。
 あとは、さらっと流しました。
 会場の人出は並み、といったところでした。

 ミュージアムショップでウサギのぬいぐるみが売り切れていたのでショック。

 コレクション展示も見ました。



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