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毒山凡太朗「君之代」に見る「あいトリ」の幅の広さ あいちトリエンナーレ:2019年秋の旅(76)

2020年01月19日 08時02分59秒 | 道外の国際芸術祭
(承前)

 円頓寺商店街エリアで、もうひとつ気になっていた作品。

 公式サイトでは、次のように説明されている。

この会場には、3つの作品が展示されています。《君之代》では、1895年から50年間に及ぶ日本統治時代に国家教育を受け、日本語を話すことができる 台湾のお年寄りへインタビューを行っています。《ずっと夢見てる》では、深夜に公共の場で眠る酔客へ、グローバル企業のロゴが記された布をかけていく様子が記録されています。《Synchronized Cherry Blossom》は、今回のあいちトリエンナーレのための新作です。1964年東京オリンピック開会直前、世界初の高速鉄道・東海道新幹線の開業を機に、全国的に知られる名古屋の名物となった和菓子のういろうを、花びら型に成型し、満開の桜を表現しています。


 上の説明だと、「Synchronizedー」は三つ目の画像に見られる、暗闇に浮かび上がる美しい桜の立体だけに思われそうだが、実際には、ういろうをめぐる菓子会社へのインタビューなどを集めた映像作品も流れていた。
 「そっか~、2020年にはもう一度東京オリンピックがあるからねえ」
と思った人がいたら、それは早とちりで、どうやら現在品川と名古屋の間で建設工事が進んでいるリニア新幹線が発想のもとになっているようだ。

 筆者は「君之代」が、興味深かった。


 これは、藤井光「無情」のことを想起すると、考えさせられるというか、歴史を見る角度もさまざまであることを感じる。

 藤井の映像作品は、日本統治下時代の皇民化教育を取り上げて、その苛烈さが見る人に衝撃を与える。半面、毒山の作品は、同じ時代に日本式の教育を受けた人々にインタビューしているのだが、そこから受ける印象は一面的なものではない。
 厳格すぎる教師のことを暗い表情で振り返る老人もいれば、あの頃は良かったと笑顔で「君が代」を歌い出す人もいるのだ。

 どの老人も通訳無しで流ちょうな日本語をしゃべるという事実が、75年前の少年少女時代に、いかに徹底した日本語教育がなされたかを物語っている。
 しかし、それを差し置いても
「日本は台湾を支配し、日本式の教育を強要した」
という言説も
「台湾は親日的だ」
という言説も、そこで言い終わってしまったら、一面的な理解で終わってしまうということなのではないだろうかというふうに思う。歴史には、公式的で単純な言い切りから、かならずこぼれ落ちてしまう「細部」が存在するのだ。
 そのことを、毒山さんによるインタビューを見ていると、あらためて切実に感じる。


 桜もまた、日本的な表象である。
 そして、この作品は、とりたてて桜を否定的にはとらえていない。
 筆者のうけとめ方では、藤井光と毒山凡太朗の双方が出品されていること自体、「あいちトリエンナーレ2019」が多面的でポリフォニックな見方を許容するものだということをあかし立てているのではと、考える。

 しかし、あの「表現の不自由展 その後」をめぐる騒ぎで、あたかもあいちトリエンナーレ2019全体が一面的で政治的な催しであるかのようなでたらめな見方が一部に広まってしまったのは、残念でならない。



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