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第2回写真フォーラム「北海道と写真のつらなり」/その4・2019年2月24日

2019年02月28日 10時34分00秒 | 展覧会の紹介-写真
(承前)

 長万部駅に着いたら「写真フォーラム」会場の長万部町学習文化センター文化ホールに直行である。

 昨年、自分が文化センターへの道順を紹介するブログ記事を書いていたので、迷わず向かうことができた。

 冒頭画像は、長万部駅の前。
 雪が積もっている空き地から、右側の道路にかけて、かつて長万部食堂があった。
 長万部写真道場の中心メンバーで、今回も多くの写真が展示されている澤博さん(故人)がかつて経営していた食堂である。

 いま、駅を出ると、海までまっすぐ道路が続いているが、これは長万部食堂を取り壊したあとの土地を利用して開通させたものである。
 ちなみに、この左手の建物は、かにめしで有名な「かなや」である。


 さて、フライヤーには、フォーラムについて

写真展に関連して、戦前・戦後を跨いで絶え間なく撮影されてきた北海道の写真について知り、郷土の文化資源としての写真資料の価値を再検討するフォーラムを開催します。

とある。

 前半は、道立近代美術館学芸企画課長の大下智一さんによる基調講演「明治・大正期の北海道・写真 残された写真から」。
 学芸員の大下さんは函館美術館勤務が長く、在任中は函館の古い写真にスポットを当てた展覧会を企画するなど、このフォーラムで登壇するにはうってつけの人物だと思う。

 大下さんは、エリフォレット・ブラウン Jr.が1854年に撮影したダゲレオタイプ「松前勘解由と従者たち」(松前町教育委員会蔵)を皮切りに、幕末明治期に函館や小樽、札幌などで撮られたたくさんの写真の実例を、投影しながら説明した。
 なお、ブラウン Jr.の写真は横浜美術館も所蔵しているが、刀の左右が異なっている。
 ダゲレオタイプは、後生の写真と違って焼き増しができず、左右が反転するため、大下さんは、いずれかの写真は、武士たちが左右反転に気づかないまま撮った写真ではないかと推測していた。

 ブラウン Jr.は日本に開国を迫ったペリー提督の艦隊に乗り組んでおり、帰国後にペリーが日本遠征記を出版する際にブラウンの写真を参考にして画家が挿絵を描いたのである。
 先の画像は、角川文庫版に収録されている挿絵で、この元になった写真を大下さんが紹介していたのであった。

 ほかにも、横山松三郎の写真油絵、田本研造が撮った「幕府軍艦回天の残骸」(模写、函館市中央図書館蔵)や「札幌郡一ノ村」などを次々と投影した。
 田本の写真は、開拓使から請け負って撮影し、一般にプリントを販売したものもある。開拓使は、北海道開拓を明治政府はもとより、欧米列強にもアピールしようと、万博などに写真を出品した。

 しかし、10年ほど前に函館市中央図書館で見つかった、田本が撮影した札幌本道開削工事の写真は、海外では見つかっておらず、プリントされずにしまい込まれた可能性が高い。大下さんは山の稜線などから、撮影地を国道5号旧道の、七飯町峠下地区と推定。山奥の工事現場にもかかわらず、右下に若い女性が写り込んでいることが理由で、この写真が広く公開されなかったのではないかとみる。

 大下さんのほかにも、開拓写真と呼ばれているものやその周辺の写真を広く紹介しながら、明治天皇と戦争そのものが写真に写せなかった事情、アイヌ民族への視線、明治になって初めて日本人が広く意識するようになった「国境」と写真記録の関係など、さまざまな示唆に富んだ幅広い内容だった。

 個人的には、札幌本道開削工事のながれで、川上冬崖の水彩画「北海道茅部郡領之図」(1878年頃)が紹介されていたのが興味深かった。
 筆者が知る限りでは、北海道を描いた最も古い水彩画は川上冬崖のものだが、北海道の水彩画をとりあげた展覧会でも展示はされていない。



□長万部写真道場 http://occ-lab.org/
□北海道開拓写真協議会 http://hsp-web.jpn.org/

(この項続く) 

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