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訂正あり◾小林麻美展 Touch Your Eyes~眼に触れて~ (2017年12月11日~18年1月16日、岩見沢)

2018年01月14日 14時49分03秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 画家は身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える。(メルロ=ポンティ「眼と精神」)


 札幌の小林麻美さんが、この10年ほどの作品をまとめて陳列した個展を、岩見沢で開いています。
 初めてのことであり、彼女の絵画をじっくりと見るには、またとない機会でした。

 ただ、会場で配られた作品一覧と、実際に展示されていた作品の間に、看過できないほどの異同がありました。
 そのあたりについては別項にまとめたので、参照していただければ幸いです。



1. Erick Fischel から Maurice Merleau-Ponty のほうへ 


 小林麻美さんは、札幌拠点の中堅画家としてかなりコンスタントに活動を続けてきたひとりで、下のリンク先以外にも数々の発表をしています。ただし、個展はそれほど多くなく、このブログで記載がないのは(というか、書くのを怠っている)のは2014年、札幌のらいらっく・ぎゃらりいで開かれたものぐらいだと思います。

 ところが、今回この稿を書くにあたり、あらためて過去の文章を調べてみたのですが、筆者は彼女について、あまりきちんと紹介してきたとはとうていいえないようです。とくに、2010年代に入ってからはまともな記述がほとんどありません。もちろん、なんらかの意図があったわけではなく、評価していないわけでもないのですが、たとえば下にリンクが貼ってあるなかでも「となりのひと」「織姫たちのスイーツ・アート」などは、名前以外の記述は皆無というのに等しいのです。
 これには、われながらあきれてしまいました。ごめんなさいと謝るしかありません。

 けっきょく、さかのぼってみると、ある程度の文字数をつかって書いているのは、じつに10年前に札幌市北区のテンポラリースペースで開いた小林麻美個展「風景が私をみている気がする。」までさかのぼらなくてはならないようです。このときのメインの作品が、岩見沢では1階の小スペースに展示してあった「網目の景色」です(当時と題が異なる)。

 しかし、筆者はじぶんでも自覚しているようですが、このときのテキストも、さらに4年前の札幌の美術2004のときも、かなり社会的なほうに寄った見方をしていました。
 今回の個展「眼に触れる」を見て、従来の解釈が間違いとまではいえないまでも、自分としてはもっと生理学的な視点から小林麻美作品を見直さなくてはならないなと思いました。

 この章の表題にとりあげられているエリック・フィッシェルは、のぞき見的・批評的な観点から現代の家庭生活を描写する米国の画家です。
 画風が小林麻美さんに似ているというのではなく、となりの家や、たまたま電車で向かい側にすわった人をそっと見ている感覚が共通するかも、と思ったのです。
 しかし、彼女の絵は、「知覚とは何か」を探究し、従来の心身二元論的な見方に疑問をなげかけた20世紀フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティの問題意識に、近いものがあると解釈したほうが妥当なのではないか。それが、やや気が早いですが、今回の筆者なりの結論です。 



2. 視覚の探究 


 哲学者はことばで考えますが、画家は線や形や色で考えます。あるいは、目と筆先で考えるといってもいいでしょう。
 画家の思考には、ことばによる思考とはまったく異なるグラマー(文法)とレトリック(修辞)があります。ことばを用いないからといって、厳密さを欠くのではないかとか、たいしたことないのでは―などと思うのは誤りです。ただ世界の捉え方がそもそも異なるとしか言いようがありません。
 したがって、ことばをつかって、彼女の思考を勝手に跡付けるのは困難を極めます(と予防線をはっておく)。

 とはいえ、そうとばかり言ってもいられません。

 筆者がいちばん共感を抱いたのは「やわらかい床の展示室」(2014)です。
 舞台は欧洲かどこかの美術館でしょうか。奥の壁面に大きな絵が並んでいます。中央附近に、さらに奥へと伸びる通路があって、その壁にも絵が架かっています。手前左手には木馬のおもちゃやふとん?などがあり、手前中央には顔が描かれていない女性が正面を向いています。
 彼女は腕が3本あるように描かれ、髪は白っぽく、ノースリーブの黒いワンピースを着ているようです。右腕は横に垂らしていますが、2本の腕でなにかを抱きかかえているようにみえます。
 特徴的なのは、床を覆う正方形のタイルですが、これが波打つようにゆがんでいます。女性もこの正方形の網目が透過しています。

 ルネサンス期のイタリアで透視図法による遠近法が見いだされ、それ以降の西洋絵画は、単一の視点から見た外界をその技法に従って描写してきました。
 19世紀半ば以降の印象派などの西洋絵画史は、それに対する反発と解体の歴史であると言っても過言ではないでしょう。
 ただ、印象派や、さらにそれを受容し鑑賞する人々にとっても、視点は画布のこちら側にあり、世界は単一のものとして存在しているという認識については、疑いをいれずに保持しているのではないでしょうか。つまり、あくまで主観と客体を峻別する分け方です。
 「私」と「世界」は向かいあうように隔たって存在しているのではなく、私が認識することで世界も存在するし、存在の有りようもその都度変化していくとは考えられないでしょうか。

 床のタイル?は、「網目の景色―朝のベランダ」(2015)と「網目の景色―3つのフレーム」(2016)という抽象画へと発展していきます。
 これは、自分の見ている世界は、ほんとうにこのような世界なのかという始原的な問いではないかと思います。いわば世界の成り立つそもそもの素地、あるいは枠組み、地平といってもさしつかえないでしょうが、それを出発点から問い直そうとしているのではないでしょうか。

 筆者がこれらの作品を見て思い出したのは、これは以前ツイッターでもちょっと言及しましたが、故北浦晃さんが1970~80年代に、人物の背景に、まるで放送室の壁のように点が規則正しく打たれていたり、おびただしい線が走り回っていたりしていたことです。日勝峠などを題材にした理知的な風景画に活路を見いだすまでの北浦さんは、空間をつかもうと苦闘を続けていました。
 北浦さんは小林さんの親類のはずです。偶然とはいえ、興味深い類似です。
(※訂正 親類ではなく、祖父と親交があったということでした)

 そうやって考えていくと、フェンス越しに隣家を見ているような2007年~10年ごろの作品も
「自分の記憶に残っている映像を再生したとき、どのような変容をこうむっているのか」
「自分が見ている映像は、隣の≪他者≫にもおなじように見えているのだろうか」
というような問いに、彼女なりの回答を試みた作品だとはいえないでしょうか。



3.まとめ 


 なんとも、舌足らずで煮え切らないテキストになってしまいました。
 絵画の哲学は、ことばが途切れた地点からスタートします。

 ここにあるのは、ことばによるのではない、「もうひとつの」形而上学なのだと思うのです。



2017年12月11日(月)~18年1月16日(火)午前10時~午後6時(木曜午後1時半~)、水曜と12月24日、29日~1月3日、9日休み
岩見沢市絵画ホール・松島正幸記念館(岩見沢市7西1)

一般210円、高・大学生150円、中学生以下無料

□ASAMI KOBAYASHI OIL PAINTINGS http://www.kobayashi-asami.com/


作品名の異同、過去の関連記事へのリンクは次項に載せます)
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