北海道美術ネット別館

アート、書道、写真などの展覧会情報や紹介、批評、日記。毎日更新しています。2013年7月末、北見から札幌に帰還

■増田常徳展 (2019年5月1~15日、深川)

2019年05月15日 12時19分04秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
頬のうえの 日の斑
ぼくらのしぐさは
まだ難民に似ている
飯島耕一「われわれにとってのことば」 


 増田氏の絵は暗い。そして、重い。
 しかし、近現代の人間存在とは、そもそもそのようなものではなかったか。

 戦後の日本絵画は重々しいものが多かった。
 鶴岡政雄「重い手」や、香月泰男のシベリア・シリーズ、浜田知明「初年兵哀歌」など、戦争や抑留などさまざまな悲劇と正面から向き合い、格闘した力作が数多く制作された。
 変な言い方になるが、たとえば昔の自由美術展の会場に行けば暗い色彩の絵があふれていたものだ。 

 時は移り、経済成長とともに豊かになった日本では、明るい色彩のアートが増えていく。
 いまの道内で、人間を暗い色調で描いている人といえば、宮崎亨さんぐらいしか思いつかない。

 では、その重たさをめぐる状況は変わっていないのだろうか。
 わたしたちは権力や状況を撃つ「ことば」を失ったかわりに、積み重なったやり場のない怒りを内面に向けているだけではないのか。


 今回の展示の特徴として、作品自体と、題を記した札以外に、いっさいの情報がないことが挙げられる。

 ふつうなら、画家の略歴やことばなどが貼ってある。
 主催者のあいさつや、過去の新聞の切り抜きがあったり、画集やポストカードなどが販売されたりしていることもあるだろう。
 ところが、この展覧会には、そういうものがまったくないのだ。

 誰が見てもわかる人物画や風景画ならいざ知らず、また、すでに歴史上の人物で、関連の情報が容易に入手できるというわけでもない。

 だが、筆者はこの「不親切」を非難しているのではない。
 むしろ逆で、その種の情報なしで、虚心坦懐に画面と向き合っても、わからないならわからないなりに、ずしんと伝わってくるものがある。それが増田氏の絵画だと思うのだ。
 沈んだ色調と、存在感のあるマチエールが、見る側に重厚さをもって響く。


 たとえば「パンドラの箱(凍土壁)」という、異様な大作がある。

 こちら側にせり出してくる巨大な矩形が描かれているのだが、その壁に、おびただしい人間がしがみつくように(ひとりだけ、壁に背を向けてこちらに正面を向けている者がいるが)、貼り付いているのだ。
 人々が着衣か裸体か、どんな顔をしているか、性別はどちらか、など詳しいことは、絵からは判断できない。
 そもそも、これがどういう情景なのかもわからない。
 戦争直後の写真で、車輛の外側に人が張り付いて移動する列車を見たことがあるが、あれを連想する。しかし、描かれているのはどう見ても列車ではない。

 ただ「凍土壁」という言葉は、東京電力福島第1原発事故の事態収拾にあたって持ち出されたアイデアのひとつである。汚染水を食い止めるために着想されたが、当初のもくろみ通りには機能していないことが、ときどき報道されていたことが記憶にある。
 とすれば、たくさんの人間が壁に必死にしがみついている情景は、人間が自らの欲望に従い人知を超える装置を生み出しておきながらそれを抑止するすべを知らずに苦しい試みを続けている現状を描いているのではないか。そんな推測が成り立つ。

 あるいは「もう一つの最後の晩餐」(1999)。
 レオナルドの有名な作品に代表される、福音書の一場面に材を得ているのであろうが、イエスと弟子たちは誰も描かれておらず、空虚な長テーブルだけが残されている。
 白いテーブルクロスが掛けられた卓上には食べ残しとおぼしき、さまざまな種類の貝殻が点在し、そのいくつかはいましも床にこぼれ落ちそうだ。
 奇妙なことに、背景は暗い海で、険しい岩礁が二つ三つそびえ立っているのが見える。

 正直、この絵が何を意味しているのか、理解できない。
 もしかしたら、何も意味していないのかもしれない。
 あるいは、この絵に描かれている場面の時点で、イエスは十字架への道のりを歩んでいるのかもしれないし、ゲッセマネの園で苦悩しているのかもしれない。


 「黒い海峡」は、8人ほどの男が背を向けて並んでいるだけの絵。
 漁師だろうか。たくましい背中は、言葉にならない何かを語っているようだ。

 増田氏の絵は、このように人間を題材にしているものが多い。
 「コルセット」「痙攣」など、いずれも痛々しさを感じる。
 「炭鉱夫たち」は、わりとポピュラーな題材だなと思って、画面を見ると、男がガスマスクをつけている。ショベルやつるはしはいいとして、ガスマスクは異様な印象を受ける。


 「実存」とか「人間疎外」という言葉ははやらなくなったし、そういう難しめな語を持ち出して絵画がわかったような気になること自体はあまりよいことではないだろう。
 しかし、人間の実存がないがしろにされなくなったり、疎外されなくなったりする時代がやってきたわけでは、ないのだとしたら、増田氏のような絵は、苦しむ現代人の共感を得続けるのではないだろうか。


2019年5月1日(水)~15日(水)、7日と13日休み
アートホール東洲館(深川市1-9、深川市経済センター2階)



・JR深川駅を降りてすぐ

・都市間高速バス「深川十字街」から約340メートル、徒歩5分
『絵画(レビュー感想)』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
« 2019年5月14日のツイート | トップ | ■中庭展示Vol.12 半谷学 「花... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト」カテゴリの最新記事