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札幌の美術批評を活性化させるために

2016年01月06日 21時46分48秒 | 札幌国際芸術祭
 先日、年末に札幌市資料館のSIAF カフェで開かれたワークショップ「見たあとに書く~批評について考える」について、ぶつぶつと文句を書いたが、あれは単に筆者が「自分はなんで呼ばれたのか」と極私的感想を述べたのであって、第三者的な目から見れば、劃期的な集まりであったことには違いない。
 筆者の知る限り、北海道内で「美術批評」を主題とする集まりがあったのはこれが初めてだと思う。そういう集まりに30人近くも作家、愛好家などが来たのは、喜ばしい話と言っていいのではないか。
 そして、美術批評・評論が重要であること、にもかかわらず札幌や道内の批評・評論活動は決して盛んとは言いがたいことの2点を確認したことについては、大いに意義がある。

 とはいえ、批評・評論の不毛を嘆いているだけでは、事態は進まない。
 筆者がまず取り組みたいのは、現状を整理することである。時間と空間の、二つの軸に沿って、事態をあらためて見てみたい。(ただし、あらかじめ言い訳をしておくが、用意周到な論文を書いている暇がないので、ここでは略述にとどめることにする)


 1.時間・歴史

 といっても、ディドロやアポリネールまでさかのぼるつもりはないし、筆者の任ではない。
 ただ「美術批評が活発」と口にした時点で多くの人の念頭に、無意識のうちにうかびあがっているのはおそらく、評論家クレメント・グリーンバーグと戦後米国の抽象表現主義の「協働」が大きな果実を生み、ひいては世界美術史の書き換えにつながっていったという流れではあるまいか。たとえば、モーリス・ルイスなどは、グリーンバーグなしでアートの世界に登場できていただろうか。

 北海道の美術批評は、戦前の「さとぽろ」を別にすれば、なかがわつかさの登場をもって嚆矢とする。
 彼の活動については、札幌芸術の森美術館が2010~11年に開いた「札幌美術展 さっぽろ・昭和30年代 美術評論家なかがわ・つかさが見た熱き時代」で詳しく発掘され、叙述された。

 問題は、その後を追った包括的な取り組みが存在しないことである。
 おおまかに言えば、なかがわの登場と相前後して、評論家の吉田豪介、画家の小谷博貞、北海道新聞記者の竹岡和田男らが、相次いで筆を執るようになる。そういう時代的な背景をもって登場したのが、現在も年3度の発行を続けている「美術ペン」である。
 また、1980年代に、佐佐木方斎がほぼ独力で刊行した雑誌「美術ノート」にも、いろいろなテキストが載った。

 その後、幾人かの書き手は登場するが、この20年ほどは、道内での美術のテキストの書き手は、1977年以降に開設されるようになった美術館の学芸員が担うようになり、美術評論家の肩書で批評を書く人間はしだいに少なくなっているのが実情であろう。

 21世紀に入って、各美術館で定年退職を迎える学芸員が出始め、そのうち何人かは「美術評論家」などを名乗って、ときおり北海道新聞などに文章を書いているが、持続的な活動をしているようには筆者には見受けられない。もちろん、筆者が知らないだけかもしれないが。


 2.空間・他地方

 大ざっぱにいえば、もともと日本は、美術評論の需要と産出に乏しい国であるということができよう。

 そもそも美術批評・評論を掲載する、古くからある雑誌が、いまや「美術手帖」しか存在せず、しかも版元の経営が行き詰まってしまうのが日本なのである。
 以前、サンフランシスコの大きな書店で、美術雑誌を数えたら、50誌あった。日本とは差がありすぎる。
 少ない美術関係雑誌のうち「芸術新潮」「月刊美術」「炎芸術」などは、あまり評論を載せるような雑誌ではないし、あとは「版画芸術」ぐらいだろうか。
 ユニークだったのは、20世紀末ごろに出版されていた隔月刊誌「てんぴょう」で、東京だけでなく日本全国各地の展覧会評を掲載する雑誌だったが、惜しくも休刊になっている。

 美術業界の人は「美術手帖」を手にとって、あんなものかと思っているかもしれないが、テキストの分量は、たとえば「Octorber」「Art in America」といった米国の雑誌より少ないし、「文学界」「音楽の友」「現代詩手帖」など他分野の雑誌と比較しても、大いに見劣りする。

 さすがにこれはまずいと思ったかどうかは知らないが、この3年ほど、リトルマガジンとでもいうべき、小部数の雑誌がいくつか出るようになった。
 また、紙媒体ではないが、ART iT や、アートスケープ(artscape)といったウェブマガジンの果たす役割は大きい。

 また、特筆すべきなのは、名古屋・東海地域で号を重ねている季刊の美術批評「REAR」であろう。地元の学芸員や新聞記者などの書き手がしっかりと評論を執筆しており、見方によっては、首都圏よりも愛知地方のほうが、美術批評の蓄積は大きいとすら言うことができるだろう。



 というわけで、以上のような見取り図をたたき台として示してみました。

 じつは、当ブログは、いろいろな人に書いてもらえる場になればいいなという願いをこめて、こういう題(北海道美術ネット)にしているし、「読者からの投稿」というカテゴリも設けているのだが、実際には上遠野かとおの敏さんが何本か記事を寄せていただいたくらいだ。
 批評・評論の不在をなげいても、じゃあ実際に書いてみるのかといえば、なかなかそうは問屋がおろさないようである。



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