第72回全道展を見に行き、版画のコーナーに、浅野武彦さんと水落啓さんの遺影と遺作が飾られているのを見て、亡くなられたことを知らなかったので驚きました。
正直に告白すると、「全道展版画部のダブル浅野」のひとり、浅野武彦さんは享年89で、近年は出品がなかったので、それほど驚いてはいません。
川上澄生の弟子で、医師との「二足のわらじ」を履きながら、ウトナイ湖のハクチョウなどおだやかな木版画を制作しておられました。遠藤ミマンさん亡き後、苫小牧美術協会の会長も務めておいででした。
一方の水落さんは、1950年札幌生まれ。まだ66歳です。
札幌南高校を卒業後、上京して銅版画家となり、のちに埼玉県に工房を開くとともに、シルクスクリーンに転じました。箔を効果的に用い、クリアな色彩と明快な構図で人物などを描いた作品は、ともすれば重厚な作が多くなりがちな北国の壁面に、軽快な感じをもたらしていました。
1981年に版画として初の協会賞を受賞。84年に会員に推挙されています。
ベテランの多い全道展では比較的若い会員だったので、筆者もよく会場でことばを交わし、何度かはがきをいただいたこともあっただけに、今回のことについてはショックを隠せません。
図録に渡会純价さんに寄せた文章によると、胃がんだったとのことです。
お二人のご冥福をお祈りいたします。
なお、絵画部の新覚吉郎さんの遺作も展示されていました。逝去時の記事はこちら。
■水落啓 新作版画展 (2013、画像なし)
正直に告白すると、「全道展版画部のダブル浅野」のひとり、浅野武彦さんは享年89で、近年は出品がなかったので、それほど驚いてはいません。
川上澄生の弟子で、医師との「二足のわらじ」を履きながら、ウトナイ湖のハクチョウなどおだやかな木版画を制作しておられました。遠藤ミマンさん亡き後、苫小牧美術協会の会長も務めておいででした。
一方の水落さんは、1950年札幌生まれ。まだ66歳です。
札幌南高校を卒業後、上京して銅版画家となり、のちに埼玉県に工房を開くとともに、シルクスクリーンに転じました。箔を効果的に用い、クリアな色彩と明快な構図で人物などを描いた作品は、ともすれば重厚な作が多くなりがちな北国の壁面に、軽快な感じをもたらしていました。
1981年に版画として初の協会賞を受賞。84年に会員に推挙されています。
ベテランの多い全道展では比較的若い会員だったので、筆者もよく会場でことばを交わし、何度かはがきをいただいたこともあっただけに、今回のことについてはショックを隠せません。
図録に渡会純价さんに寄せた文章によると、胃がんだったとのことです。
お二人のご冥福をお祈りいたします。
なお、絵画部の新覚吉郎さんの遺作も展示されていました。逝去時の記事はこちら。
■水落啓 新作版画展 (2013、画像なし)