(承前)
8月10日から12日早朝にかけて石狩湾新港の特設会場で開かれたRising Sun Rock Festival 2018 in Ezo(ライジングサン・ロックフェスティバル、以下RSR)。
全体的なことについては前項に書いたので、ここでは、筆者がまわったステージなどについて、ごく個人的な感想をつづっていきます。
RSRの特色といえば広大な遊休地にテントを張って、好きな音楽を楽しむこと。
会場は小樽市と石狩市にまたがる「石狩湾新港」という地名で、実際にも日本海の近くですが、実際には、工場や倉庫などの間に広がるだだっ広い土地で、海の近くという印象はあまりありません。
ことしは、職場などのチームでテントサイトの4区画を確保。
さまざまな苦労の末におなじ「エゾシカエリア」に一続きの土地をまとめることができましたが、設営までに、テントの搬入などに時間がかかります。
毎年、2万なんぼのお金を払って、どうしてこんなに苦労しなくてはならないのかという思いが、頭の片隅をチラッとよぎります。
ホテルからバスで往復するツアーが人気なのもわかるような気がします(余談ですが、ホテルや新千歳空港などと会場を結ぶバスが観光バス仕様なのに対し、地下鉄麻生駅とのシャトルバスは路線バスの車体で混雑しており、麻生から重たい荷物を抱えて立ちっぱなしなのは気の毒だなあと、毎年見ていて感じます)。
テント設営、ビールで乾杯、Tシャツ買い出し…などをへて、10日は以下のとおり。かっこ内はステージ名。
NakamuraEmi (ボヘミアンガーデン)→
ASIAN KANG-FU GENERATION(途中から。レッドスター・フィールド)→
クラムボン(途中まで。レインボー・シャングリラ)→
勝井祐二(PROVO)→
SCOOBIE DO(ボヘミアンガーデン)
NakamuraEmi は「YAMABIKO」で注目されたのが3年ぐらい前だったので、MCで36歳というのを聞いて、びっくりした。
ヒップホップに影響を受けた鋭いリリック。でも上から目線でもなく、説教くさくもなく、大人や男性を拒絶してとり澄ましているのでもなく、もちろんこびているのでもない。それなりの人生経験を通して自分自身から出た言葉が、共感を抱かせるのだと思う。
筆者は職業柄、「朝刊」「新聞」にぐっときた。これを聞いた若い世代がちょっとでも新聞を読んでくれるようになったらいいな。猫のえさの皿にするのでも、ぜんぜんかまわないから。ちょっと古い一昔前の不便さも、覚えていたいと思うのだ。
(この段落の曲名を訂正しました。すみません)
アジカンは、正直なところ大好きというほどでもないのだが、一昨年、ゼップサッポロで聞いたときよりは、こちらに来たという感じを抱いた。なぜかはわからないけど。
最後に、bloodthisty butchers(ブラッドサースティ・ブッチャーズ)の曲を演奏した。
ブッチャーズは、留萌で結成されたバンドだが、2013年にボーカル・ギターが死去している。
勝井祐二は札幌出身のロックバイオリニストで、ROVOのメンバーとして何度もライジングに出場しているが、ソロは珍しい。
PROVOは、もともと札幌市内のクラブで、毎年ライジング会場に移動出店し、周辺に個性的な飲食店や古着屋が並ぶ一角として定着している。
その中の小さなステージの日程がことし初めて、公式のスケジュールに記載されるようになった(ただし、紙のバージョンのみ。スマートフォンのアプリには未掲載)。
ことしの小さなステージは、あずまやのようなスタイルで、四方から見られるようになっていて、正面がない。
勝井君は足元の機材をいじっている時間が長くて、見た目は、あまり「演奏」という感じがしなかった。
スクービー・ドゥは、ファンクミュージックとロックのおいしいところを融合した4人組。
2009年のライジングサンで入場制限がかかるほどの人気を呼び、以後ほとんど毎年出場している。呼ばれなくてもやって来て、エントランスで演奏したこともある(2014年)。
今年は、ほぼおなじ時間帯に、フィッシュマンズ、ブラッドサースティ・ブッチャーズ・トリビュートが重なって、ロックファンから悲鳴が上がっており、スクービーのボーカル、コヤマシュウも
「オレだって見に行きたかったよ」
と冗談めかして言ったほど。
「ダンスナンバーしかやらない!」
と冒頭で宣言したとおり、今年はバラードなし。踊りまくれるプログラムだった。
演奏では、ベースのナガイケジョーが間奏でソロをとる場面が以前よりも増えたような気がする。ギターのマツキタイジロウとバトルする場面がもっと増えたらおもしろいのでは。
ドラムのMOBYが曲と曲の合間に汗をぬぐうタオルが
「水曜どうでしょう」
なのが可笑しい。
アンコールも1曲やり、最後の最後にMOBYが「レキシのおじさんによろしく」。
しかし、筆者はレキシどころではなかった。
夜遅くから雨がひどくなり、かっぱと帽子のおかげでぬれねずみにはなっていなかったとはいえ、ズボンや足元がぐしょぐしょになっていたのである。雨のなかで踊っていたので自業自得ではあるのだが…。
筆者がスクービーに行く前に、職場の後輩がいったん札幌に引き上げる算段をしていたのだが、スクービーから戻ってきてもまだ手配したタクシーが来ていなかった。あらためて違う会社に配車を依頼していたので、筆者もそれに便乗することにしたのだ。
ヘブンズゲイトからタクシー乗り場への道も泥だらけ、水たまりだらけだった。
乗り場には、絶望的な長い列ができていた。
後輩氏はあらかじめ予約の電話をしていたので、その列とちょっと離れた場所からぶじ、予約車に乗ることができた。
午前2時ごろ、自宅に戻り、足を洗い、シャワーを浴びた。
これで筆者は、20回連続で参加しながら、一度も会場で2泊したことがないという、まれな記録を今年も更新してしまったのである。
8月10日から12日早朝にかけて石狩湾新港の特設会場で開かれたRising Sun Rock Festival 2018 in Ezo(ライジングサン・ロックフェスティバル、以下RSR)。
全体的なことについては前項に書いたので、ここでは、筆者がまわったステージなどについて、ごく個人的な感想をつづっていきます。
RSRの特色といえば広大な遊休地にテントを張って、好きな音楽を楽しむこと。
会場は小樽市と石狩市にまたがる「石狩湾新港」という地名で、実際にも日本海の近くですが、実際には、工場や倉庫などの間に広がるだだっ広い土地で、海の近くという印象はあまりありません。
ことしは、職場などのチームでテントサイトの4区画を確保。
さまざまな苦労の末におなじ「エゾシカエリア」に一続きの土地をまとめることができましたが、設営までに、テントの搬入などに時間がかかります。
毎年、2万なんぼのお金を払って、どうしてこんなに苦労しなくてはならないのかという思いが、頭の片隅をチラッとよぎります。
ホテルからバスで往復するツアーが人気なのもわかるような気がします(余談ですが、ホテルや新千歳空港などと会場を結ぶバスが観光バス仕様なのに対し、地下鉄麻生駅とのシャトルバスは路線バスの車体で混雑しており、麻生から重たい荷物を抱えて立ちっぱなしなのは気の毒だなあと、毎年見ていて感じます)。
テント設営、ビールで乾杯、Tシャツ買い出し…などをへて、10日は以下のとおり。かっこ内はステージ名。
NakamuraEmi (ボヘミアンガーデン)→
ASIAN KANG-FU GENERATION(途中から。レッドスター・フィールド)→
クラムボン(途中まで。レインボー・シャングリラ)→
勝井祐二(PROVO)→
SCOOBIE DO(ボヘミアンガーデン)
NakamuraEmi は「YAMABIKO」で注目されたのが3年ぐらい前だったので、MCで36歳というのを聞いて、びっくりした。
ヒップホップに影響を受けた鋭いリリック。でも上から目線でもなく、説教くさくもなく、大人や男性を拒絶してとり澄ましているのでもなく、もちろんこびているのでもない。それなりの人生経験を通して自分自身から出た言葉が、共感を抱かせるのだと思う。
筆者は職業柄、
(この段落の曲名を訂正しました。すみません)
アジカンは、正直なところ大好きというほどでもないのだが、一昨年、ゼップサッポロで聞いたときよりは、こちらに来たという感じを抱いた。なぜかはわからないけど。
最後に、bloodthisty butchers(ブラッドサースティ・ブッチャーズ)の曲を演奏した。
ブッチャーズは、留萌で結成されたバンドだが、2013年にボーカル・ギターが死去している。
勝井祐二は札幌出身のロックバイオリニストで、ROVOのメンバーとして何度もライジングに出場しているが、ソロは珍しい。
PROVOは、もともと札幌市内のクラブで、毎年ライジング会場に移動出店し、周辺に個性的な飲食店や古着屋が並ぶ一角として定着している。
その中の小さなステージの日程がことし初めて、公式のスケジュールに記載されるようになった(ただし、紙のバージョンのみ。スマートフォンのアプリには未掲載)。
ことしの小さなステージは、あずまやのようなスタイルで、四方から見られるようになっていて、正面がない。
勝井君は足元の機材をいじっている時間が長くて、見た目は、あまり「演奏」という感じがしなかった。
スクービー・ドゥは、ファンクミュージックとロックのおいしいところを融合した4人組。
2009年のライジングサンで入場制限がかかるほどの人気を呼び、以後ほとんど毎年出場している。呼ばれなくてもやって来て、エントランスで演奏したこともある(2014年)。
今年は、ほぼおなじ時間帯に、フィッシュマンズ、ブラッドサースティ・ブッチャーズ・トリビュートが重なって、ロックファンから悲鳴が上がっており、スクービーのボーカル、コヤマシュウも
「オレだって見に行きたかったよ」
と冗談めかして言ったほど。
「ダンスナンバーしかやらない!」
と冒頭で宣言したとおり、今年はバラードなし。踊りまくれるプログラムだった。
演奏では、ベースのナガイケジョーが間奏でソロをとる場面が以前よりも増えたような気がする。ギターのマツキタイジロウとバトルする場面がもっと増えたらおもしろいのでは。
ドラムのMOBYが曲と曲の合間に汗をぬぐうタオルが
「水曜どうでしょう」
なのが可笑しい。
アンコールも1曲やり、最後の最後にMOBYが「レキシのおじさんによろしく」。
しかし、筆者はレキシどころではなかった。
夜遅くから雨がひどくなり、かっぱと帽子のおかげでぬれねずみにはなっていなかったとはいえ、ズボンや足元がぐしょぐしょになっていたのである。雨のなかで踊っていたので自業自得ではあるのだが…。
筆者がスクービーに行く前に、職場の後輩がいったん札幌に引き上げる算段をしていたのだが、スクービーから戻ってきてもまだ手配したタクシーが来ていなかった。あらためて違う会社に配車を依頼していたので、筆者もそれに便乗することにしたのだ。
ヘブンズゲイトからタクシー乗り場への道も泥だらけ、水たまりだらけだった。
乗り場には、絶望的な長い列ができていた。
後輩氏はあらかじめ予約の電話をしていたので、その列とちょっと離れた場所からぶじ、予約車に乗ることができた。
午前2時ごろ、自宅に戻り、足を洗い、シャワーを浴びた。
これで筆者は、20回連続で参加しながら、一度も会場で2泊したことがないという、まれな記録を今年も更新してしまったのである。
(長くなったので、この項続く)