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海を渡った洋画家たち-北海道洋行事情(7月17日まで)

2006年07月17日 07時08分55秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 道立三岸好太郎美術館は、年何度かの展示替えで三岸好太郎の画業を紹介するほかに、年2回、特別展をひらいて、三岸以外の作品も展示しています。この「も」というところがミソで、観光客などが来てガッカリしないよう、三岸の絵も展示できるようなテーマ設定をしているのです。今回は、戦前に海外に行った道内ゆかりの画家14人(三岸をふくむ)の作品を紹介しています。「洋行」というと、パリなどを思い浮かべますが、肝心の三岸は、30歳で亡くなっていることもあって、上海にまでしか赴いていません。
 14人はいずれも物故者で、作品は、札幌芸術の森、道立函館、道立近代、小樽市立の4美術館から借りています。

 顔ぶれと、おもな渡航先は

岩船修三(1908-89年) ヨーロッパ
上野春香(1896-1978年) パリ、中国 
上野山清貢(1889-1960年) サイパンなど
工藤三郎(1888-1932年) パリ
久保守(1905-92年) パリ
小寺健吉(1887-1977年) パリ
小林剛(1906-86年) タイ、カンボジア
長谷川昇(1886-1973年) パリ
長谷川潾二郎(りんじろう。潾は「隣」のへんがさんずい。1904-88年) パリ
俣野第四郎(1902-27年) 大連、ハルビン
松島正幸(1910-99年) ハルビン
三岸好太郎(1903-34年) 上海
山崎省三(1896-1945年) パリ、上海、台湾、ハノイ
山田正(1899-1945年) パリ

です。
 20世紀前半の日本の画家にとって、パリの存在は圧倒的で、「世界」イコール「パリ」です。たぶん、現在のニューヨークの比ではないと思います。だから、たぶん、三岸もパリに行きたかったはず。しかし、費用などの面でそれがかなわなかったので、上海に、異国情緒をもとめたのだと思います。
 ただし、戦前の日本人に、上海やハルビンが、どれほど「外国」と意識されていたかどうかは、わかりません。というのは、当時の時刻表に、「満洲国」や中国大陸の鉄道の時刻が載っているんです。北海道の画家にとっては「外地」から「外地」へという感覚だったかもしれません。
 三岸の出品点数は10点で、めずらしい木版画もあります。ただ、しっかりしたタブローは「上海風景」など数少なく、このすぐ後にモティーフをピエロに変えてしまうこともあり、三岸の画業全体の中で上海行きがどれほどの意味があったのかは、なんともいえないところです。

 岩船は、滞欧中ピカソに会っていることもあるのか、「毀された静物」は、牛の頭部など、ピカソの影響が露骨です。
 上野の「北京万寿山の塔」は、梅原龍三郎みたい。
 工藤「ビアンクール(セーヌ河)」は、今展覧会のポスターにも採用されている絵で、淡いブルーの色調が全体を覆い、統一感と豊かな情緒のある作品。「室内風景」などを見ていても思うのですが、筆触が絵のリズムを支配するということにこれほどまでに自覚的だった画家は、そういないのではないでしょうか。
 小寺「樹陰」。3人の衣服が赤、青、黄色に塗り分けられているのが、けっこう斬新。カーディガンの感じも、とても大正時代とは思えぬほどハイカラ。滞欧時代の作品かもしれない。
 小林の作品は今回初めて見ました。「精霊流し(メナム河上流)」は、ロマンを感じさせる佳作。「春遠からじ」も、北海道の晩春の斜面に差す陽光を描いて、いきいきとした季節感を漂わせている。
 長谷川昇「肩の子猫」は、緑色のセーターを着た女性が、とてもハイカラな印象でした。
 

6月3日-7月17日
道立三岸好太郎美術館(中央区北2西15 地図D


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2 コメント

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Unknown (SH)
2006-07-17 17:07:33
ヤナイさん、こんにちは。



私も小林剛の作品は良かったと思います。

この頃の日本人にとって、中国ってどういう意識で行っていたのでしょうね。最近、樺太の本を集中的に読んだのですが、微妙な距離感がありつつも国内だと思われていたようでした。
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樺太は (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2006-07-18 00:05:04
SHさん、いつもどうもです。

樺太と朝鮮半島は、当時は完全に日本領です。

中国と満洲国は国内ではないはずですが、外地の延長としてとらえられていたフシがあるような気がします。

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