人が目にする範囲よりも足元はるか深いところ、地球内部の熱や
物質があふれる辺りまで、極小の数多の生命が存在する。
物質があふれる辺りまで、極小の数多の生命が存在する。
「たべる」はエネルギーを採り入れること。
人や動物が「たべる」姿・方法は、「選択された後」のものであって
そうなる以前にあらゆる方法があったはずだ、という。
それを例えて
『橋が完成して必要がなくなってから、足場は取り除かれたのだ』
橋だけ見ていても、足場を想像することはできない。
そうなる以前にあらゆる方法があったはずだ、という。
それを例えて
『橋が完成して必要がなくなってから、足場は取り除かれたのだ』
橋だけ見ていても、足場を想像することはできない。
エネルギーを採り入れることは、物質を体内に取り込んで化学変化を
起こすということ。人が思いもよらぬ物質をエネルギーにするものが、
起こすということ。人が思いもよらぬ物質をエネルギーにするものが、
地中深くから色々と見つかっているという。
人間が壊してしまった生活圏のバランスを、地中から取り出された
生物が回復させる可能性もある。
それは他方から見れば人為的なバランスの変更であるから、それ自体
本当に将来に亘って人にとって好ましいバランスを保つ方法たりえる
のかはわからない。希望と恐れと両方がそこにある。
生物が回復させる可能性もある。
それは他方から見れば人為的なバランスの変更であるから、それ自体
本当に将来に亘って人にとって好ましいバランスを保つ方法たりえる
のかはわからない。希望と恐れと両方がそこにある。
本書は、細菌・古細菌、カール・ウーズの手による生物の系統樹などに
多くのページを割き、地中生命のひとつとして、ミミズやプレーリー
ドックにも言及する。
多くのページを割き、地中生命のひとつとして、ミミズやプレーリー
ドックにも言及する。
地中生命について語られているのだけれど、時々、人間社会との接点が
ひょこっと提示されたりする。
新たな真実を発見した科学者に対する冷遇や、未だに旧来の知識ベース
で編まれている教科書への批判、窒素と農業の関わり、などなど。
ひょこっと提示されたりする。
新たな真実を発見した科学者に対する冷遇や、未だに旧来の知識ベース
で編まれている教科書への批判、窒素と農業の関わり、などなど。
細菌と細菌、細菌と植物・動物の間の共生関係をみると、人と人の
コミュニティの姿がオーバーラップして思われてくる。
コミュニティの姿がオーバーラップして思われてくる。
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地中生命の驚異 秘められた自然誌 新装版
デヴィッド・W・ウォルフ 著
青土社 2016/03
http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791769186
地中生命の驚異 秘められた自然誌 新装版
デヴィッド・W・ウォルフ 著
青土社 2016/03
http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791769186
新装版。原著の出版は2001年、邦訳は2003年。
2003年には興味をもっていなかった分野だから仕方ないのだけれど
2003年に読んでいたらそのあと今までの13年は、もっと豊かに
ものごとを捉えることができていたかも知れない。
2003年に読んでいたらそのあと今までの13年は、もっと豊かに
ものごとを捉えることができていたかも知れない。
(2016.11.26)