まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

新年を迎える前に、自分のことを棚に上げて....

2007年12月25日 | 社会的全般
この1、2週間という時間がもったいない。
いずれにしても、大半の仕事、年内に大きな動きはない。
つまんないな。

最近、国の仕事がえらいことになっている。
まぁ昔から「仕事」をしているという意味を、どう考えているのかわかりませんが
ここにきて、随分様変わりしている事態に、
どうもついて言っていないような気がする。

新しい知識にしても、技術にしても、もう、どうにこうにも「煮え煮え」。
官僚という「エリート」が、学んだことを、
この社会に「おろす」という作業こそが、これまでの「モチベーション」
だったことは周知の事実で、
まさか、責任を「とらされる」ために、その存在があったとは、
夢にも思わなかったことであろう。

監督責任といえば、昔と今では、全然、受け取るイメージは別で、
言うことをきかす、という感じから、
起こったことを引き受けるまでには、天文学的な距離感を感じてしまう。

言ってみれば、哲学的な問題なのかもしれないが、
場を作りました、規制緩和もしましょう、経済活動の自由も、ルールの上では
平等で、しかもプレイヤーに関しては「性善説」で臨みましょう。
起きた問題に関しては、案件ごとに、司法が解決してくれるでしょう。
お役所が、そのジャッジまで、口をはさむことは、できません。

ところが時代が移るにつれて、
この国が、「福祉国家」として要求度をあげてくると、
どうしても限りある財政では、すべてにわたって満足度をあげるには、
無理が出てくる。

そのために、「予防」的な考え方。
リスクをヘッジするあり方が、最終的に強力な言い訳にもなろうし、
結果的に、財政の出動量を減らすことにもつながるし、
こういう考え方から、「予見」を最優先させる、
その取り組みが、「お節介」と言われようが、
「息苦しい社会」と言われようが、国が取り組み始めたのは言うまでもない。

たとえば、喫煙にしても、喫煙権とか、そういう「嗜好性」をおっしゃられる
そういう方がいるが、
医学的に、その「煙」が、他者の健康リスクを「巻き添え」にする。
それは、将来にわたって、医療費増大の数パーセントを占める。
だったら、公共施設では、分煙もしくは禁煙にさせる。
これが、「予防」見地における、考え方だ。

将来に予測される、金銭的なダメージ。
これを想定しながら、行政の在り方を考えていくという発想は、
実は、まだまだ端緒についたばかりと思われ、
その真逆を未だ突っ走る官庁が、国交省だったりする。

厚労省の問題にしても、
もっと早めに「予防」の見地から、広い視野と責任を考えていれば、
このような肝炎に関する悲劇的な状況は、最小限に防げたであろうし、
全員一律救済だと、将来にわたって、何兆円にもなってしまう、
そういう悲劇にもならなかったであろう。

いくら政治家が国民の民意を受けて緊縮財政だと切り込んでいっても、
官僚自体に、国家予算の未来図なんか「気にもしていない」、
そういう、まさに哲学的な「根性」が見え隠れしているうちは、
この先、薬害もそうだし、偽装建築にしてもそうだし、
教育改革にしてもそうだし、
将来に、先送りしてしまう、財政出動を増加させてしまう。

グッドウイルの問題にしてもそう。
おそらく、日雇いの大部分を、どっかが、きっちりと回収するんだろうけど、
大部分は、それを受け入れた企業が、なんのお咎めもうけていない。
これはいったいどういうことだろうか?
結局、日雇いとして生計を立てていた人間は、
おそらく、最終的に、予見すると、
限りなく、福祉国家としては、生活保護という状況に陥る可能性があって、
大きな財政的な出動が、見込まれる。

この先、あらゆる現場で、発生するトラブルは、
この傾向から言うと、最終的に、国が救済するという処理になってしまう。
東京の渋谷において、痛ましい「温泉施設」の爆破事故があったが、
これに関しても、たぶん、国の管理責任が大きく問われることにもなろう。
公園の「柵」が無いばかりに、幼児が池でおぼれてしまった「事故」も、
最近では、県の「管理責任」が問われ、大きなお金が支払われた。

ある意味、こうなってくると、
あらゆる「公共」であろうと「わたくし」であろうと、
国の施政としては、管理管理を強化せざるを得ない。
ええ、なにかあったら、税金でまかなうことを強調することになるんだったら、
誰もが有無を言えなくなるはずだから。

このような展開が進めば進むほど、
おそらく、どの時点で、国はギブアップしてしまうのか、
干支が新しい「ぐるり」を始める前に、
ちょっと憂鬱に考えてしまう訳だし、
これでは、特に優秀な人間も、そりゃ、官僚という職業には、
なりようがないわな、なんてことも、考えてしまう訳で、
天下国家を語る、なんて気概なんて、この先、なさそうな気がするので、

我々は、誰に、何を託すつもりで、この国を考えていけばいいのだろうか?


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