まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

ホームにて。

2007年12月28日 | 雑感(日記)
乗り継ぐ電車にて、色々な光景に出くわすことがある。
ぎっしり満員の電車が、終点の駅に止まる。
片側が開いて、降車する客が、狭いドアに絞り込まれるように
押し出されていく。

たまたまホーム中ほどの下り口階段付近に、その車両は止まる。
開く片側ドアは、後部車両からあふれ出る客と、その階段付近で
渋滞する客によって、降車する客の勢いを止めてしまった。

その部分だけ、降りられない客が、何かをあせるように体を外側に
そして、他のドアは、誰もいない。
車両の乗務員は、降車側のドアを閉め、乗車側のドアの開閉に進む。
その部分だけ、いまだ、降車客が混乱しているのを知らない。

ベビーカーは、本来、折りたたんで乗車するように、実は案内されている。
どこの交通機関でもそう。
多くの方は、存じ上げないか、知っていても、そのまま乗り込む。
このとき、彼女も、ベビーカーに赤子を乗せたまま、
まさに、ドアとホームの間に、ベビーカーを渡した状態で、
身動きが取れなくなっていた。

突然、降車側のドアがしまる。
本来、その車両が折り返し、出発する時間が迫っている。
乗り込む客の時間を考えると、すでに「遅れ」は決定的だ。
まさに、そういうタイミングで、降車側のドアが閉まる。

その、まだ降り切れていない「ドア」部分。
その一つだけに、ベビーカーがまだ「渡り切れていない」。
閉まる音が、やけに耳にこたえる。
渾身の力を、混雑する客の集団に押し込もうと、若い彼女は進む。
そこだけ、降り切れていない客が、騒然とする。

挟まれ、真中に寄せられるベビーカー。
メキッ、嫌な音が小さく鳴る。
ドアに伸びる手が、その音とともに増える。
さらに、ベビーカーから出していたのであろう、
赤子の手が、何かに挟まる。
声を上げる子供。

ホームでは、ベビーカーをホームに引き出す客。
社内では、押し込む客。
ドアに手をかける客。
彼女は、見開いた眼で、今にも泣きそうな不遇を呪うような口元で、
退くことも閃くこともなく、
ただ、非力な力を、ゆがんだベビーカーに全体重を乗せるようにして。

一瞬の出来事だたかもしれない。
無事、その「車」は、脱出できた。
そもそも、その非合理的な状況が生み出す、非日常的な場面。
どんな人間でも、ひょっとすると、遭遇してしまう。

先日も、とある私鉄の駅。
線路をはさんで、両側にホームがある。
改札は一つしかなく、下りのホームは、線路を渡って改札を目指す。
上りの電車の進入によって、ホームに設備されている遮断機が降りる。
それでも、渡りきろうとする客は、
上りの電車が警笛を鳴らそうとも、遮断機をくぐりながら改札を目指す。

そんな折、下りた遮断機の前で、たたずむ若い男がいた。
当たり前だが、その後ろ脚を1歩ずらせば、線路にかかる。
男は、半笑いになって、背筋をまっすぐにして、上りの電車を
気まずそうに何度もみやる。

運転手は、躊躇していたが、やがて断続的に警笛を鳴らす。
車両に乗り込んだ客も、あっけにとられている。
鳴らされるたびに、たたずむ男は、遮断機に体を寄せるように、
背筋を伸ばし、「車両の通過のための」スペースを取ろうとする。

駆け寄る駅員。
照れ笑いをしながら、遮断機をくぐるその男。
走り出す車窓から、その男が、頭を軽く下げながら、
その先に待っている、彼の「仲間集団」に飲み込まれていくのが見えた。

来年は、無事に、1年を、暮らせるように、
ブログも、もっと、頭を整理しながら、
もっと、インタラクティブに、できたら、いいな。
本日も、お読みくださって、ありがとうございます。