まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

多動症候群

2005年01月13日 | 雑感(日記)
恐らく、人と人とを結びつける最強のツールは、通貨である。
何を行うにしても、最終的にはそのものに収斂されていく。
人間が生き物として成立している以上、えさ、なり餌場を確保することは
至上命令であり、それに結び付けられるあらゆる情報は、全ての感覚を通して
「是」、とするシステムになっているはずだ。

現在の、えさであり、餌場を管理するものは、つまり通貨である。
生き方は、人それぞれではあろうが、万人がそのシステムからは逃れられない。
混迷を極める精神のありかたは、その通貨に対するアプローチの方法を、
選択肢をいかほど所持しているかによって、着地できるはずだ。

実は、驚くほどシンプルなあり方なのだ。そう思っている。

なんにせよ、通貨にふれたことになるであろう、体験は小学校6年のときである。
生活は、苦しくなかった、はずだが、したものは、新聞配達である。
親の体面も、相当にある時代に、この仕事。
問題児だったんであろう所業に、酒屋の出の母は、なんとか見守ってくれた。
1ヶ月とはいえ、配達所の所長も、考えてみると、どう思っていたのか、
今は、顔も思い出せないが、迷惑だったのかもしれない。

今となっては、自閉症なる病と認定されている、子供の症状。
自分は、多動症候群に近い状態であった、と最近母より聞いたことがある。
そういえば、公立の、日教組が非常に強い学校だったが、
教師の机の横に、黒板を背に授業を受ける自分の記憶が、なんだかある。
その机は、廊下にあったり、校長室にあったり、と、動く机だ。
気がつくと、なんのリズムか、机をコンガにしたて、ばっかんばっかん叩きまくって、
はっと我に返る。多くの異常を見る目。廊下に速やかに連れ出そうと寄ってくる教師。
一度ではない。よく覚えている思い出だ。
本当に、迷惑な子供であった。
なにしろ、記憶なので脈絡が無いので、シチュエーションが明確で無いのだが、
授業中、(当時は、教室の中で、教師がタバコを吸えた。これも驚きだが)
何度も、切れたタバコの買出しに走らされた。体のいい追い出しだったのであろう。
本人としては、全く、暗くも無い記憶であるが、それも火災の一件で、
体験の連続を免れることとなり、過去の記憶として、単に格納された。