わたしの聖書には何箇所か日付のメモ書きが記されています。特別感銘を受けたみ言葉があると、そこに年月日を書いているのです。
旧約聖書のミカ書を読んでいたら「私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主がわたしの光であるからだ(ミカ7:8)」のところに03.11.30とメモ書きがしてありました。
その日付をみて、ジーンときました。その日は乳癌の手術を受けるため入院する前日だったからです。
病に倒れ、やみの中にただひとりすわっているような状況でこの箇所を読んだので心打たれたのです。くらやみの中に光りが差し込んでくるようでした。
イエス様から『光であるわたしがついているから大丈夫だよ』と言われたような気がして平安をいただきました。
続けてナホム書を読むと「わたしはあなたを苦しめたが、再び、あなたを苦しめない。(ナホム1:12)」のところに03.12.24と書かれています。
その日は、退院した翌日です。
ミカ書7章の次はナホム書なので、病院に聖書を持っては行きましたが、入院中はいつものように順番に1章ずつ読んではいなかったようです。
「再びあなたを苦しめない」という言葉が、再発転移を恐れているわたしをどれだけ強めてくれたでしょうか。
ナホムは「慰め」という意味だそうです。
今、OBIでミカ書、ナホム書を学んでいて思わぬメモ書きを発見し、神様はそのときどきにかなったみ言葉を与えて下さるのだなあと改めて感謝しました。
アーメンです。
まだ、クリスチャン8年目の私ですが、やっぱり聖書に日付、メモ書きいっぱいです。
求めて与えられると嬉しくて記録しておきたくなるのです。
ますます、ご体調が護らますように・・
みことばが遠くに感じる時は、自分に罪や咎があるからだろうと思います。
捜し物をしてる時、すぐ目の前にあるのに、気付かず全然違う所を探してる時があります。見ようとしてないだけで、実はすぐそこにあるんですよね。
みことばに出会う時もこれに近いように思います。
時にかなってみことばが与えられたとき、嬉しいですね。そのことをしっかり記憶しておきたいですね。
これからも、さわちんさんにみことばとのよい出会いがありますようにお祈りします。
又それまでのお苦しみを考えるとと想像を絶する思いが致します。
本当に「神様はそのときどきにかなったみ言葉を与えて下さるのですね。」
神様の恵みに満ち溢れて、文香さんのお顔はいつも輝いて素敵です。
とても励まされました。
まさに『主は生きておられる』ですね。