生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

あなたがたのうちひとりが(その2)

2013-02-20 20:06:29 | CS(子供伝道)
前回の続きです。


ユダはイエス様から祈って選ばれた弟子でした。会計係をまかされ、ほかの弟子たちからは信頼されていました。何よりイエス様は、このユダを愛していました。

『ユダ、まだ間に合う。今すぐ裏切ることをやめなさい』とイエス様は心の中でユダに語りかけていたのだと思います。
でも、ユダは知らん顔をして、「まさか私のことではないでしょうね」と、ほかの弟子たちと同じ言葉を口から出しました。
イエス様は、がっかりしたでしょう。悲しみに満ちた目でユダを見つめると、「いや。あなたがそうだ」とおっしゃいました。
ユダは死ぬほど驚きましたが、他の弟子たちは気づきませんでした。

ユダはあやまりませんでした。もしこのとき、イエス様にあやまったなら、イエス様はもちろん赦してくださったでしょう。イエス様は、ユダを愛していたので赦したいと思っておられたのです。

その後、イエス様はパンを取り、お祈りをして、弟子たちに配りました。
「食べなさい。これはわたしの体です」

それからぶどう酒の入った盃も取り、感謝の祈りをささげてから言いました。
「飲みなさい、これは、わたしの血です。人々の罪を赦すために流されるものです」
そして、ぶどう酒も弟子たちに分けてくれました。

イエス様は、ご自分の体がパンのように裂かれて赤いぶどう酒のような血が流れること、つまり、これから十字架にかかって死ぬことを伝えました。
そして、十字架にかかって血を流すことは、人々の罪を赦すためだとおっしゃったのです。

イエス様は「これからわたしを覚えてパンを食べ、ぶどう酒をいただくことをしなさい」と言われました。

このことを聖餐式と言います。それで、世界中の教会で聖餐式が行われるようになりました。
この教会でも年に4回、礼拝の中で聖餐式が行われます。イエス様が十字架にかかってわたしたちの罪を赦してくださったことを覚えるため、感謝のしるしとして行われているのです。

暗唱聖句
「これは、わたしの契約の血です、罪を赦すために多くの人のために流されるものです。マタイ26:28」



イエス様はユダをどう見ておられたのでしょうか……。名指しをせず、『この中に裏切る人がいる』と言ったのは、悔い改めのチャンスを与えるためではないかと思いました。聖書では「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。(マタイ26:23)」とありますが、それはユダにだけわかる方法で知らせたのだと教案誌には書かれていました。

ユダは罪の告白をせず、あやまりもせず、出て行きました。
その後、自分のしたことを後悔して自殺してしまいます。自殺するぐらいなら、イエス様のもとに行けばよかったのに……と残念に思います。ユダが自殺してしまったことでイエス様はどれだけ心を痛められたことでしょう。
イエス様はユダをも愛していたのですね。  
                        おわり


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。