緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

運動は心身ともにいいらしい

2021-08-02 10:09:02 | 日々の出来事に関して思ったことや考えたこと

まるの日さんのライブで、「パワハラされたときのフラッシュバックを起こしてしまう場合どうしたら良いのか?」という質問をしたら、「そういう場合は嫌な記憶が身体にまできざまれてしまっているので、身体を動かすことが良い、タッピングなどでもいいが、ダンス等身体を動かすこと、今の時期だったら水泳なんかがいい。」という答えだった。

 少し娘の状況などを話したら、甥のお嫁さんが「そういう場合は運動がいいですよ。私は今朝も15キロ走ってきました。すっきりしますよ、身体も疲れてよく眠れるし。」と言った。まあ、選手時代から今に至っても走ることが仕事でもあり、日常の一部になっている。運動は身体を良い状態にキープするための手段でもあるのだろう。身体に染みついた穢れを落とすのには運動が最適であるというのは、普段身体を動かしている人に取っては実感として感じられることなんだろうなと思った。

 また、姪を家まで車で送ってきてくれた70過ぎのロジェさんは、姪によく「手伝えることはない?」と言ってくれていたそうだが、70過ぎのロジェさんに家屋内の片付けなどの重労働を頼むのも悪いと思っていたそうだが、とうとう頼まざるを得なくなって助けを求めたところ、一日色々重い物を運び出したりしても全然平気で本当に助かったと話していた。その方もヨガとか呼吸法を教えていると言うことなので、今でも身体を動かすことが日常になっているのだろう。そういう人は70を過ぎていても、一日身体を動かして働いても平気なのだ。

 私なんか普段最低限の家事くらいしかしないので、ちょっと出歩いたりするともう次の朝疲れを感じたりする。なので、なるべく車に頼らず1㎞内外の所は自転車に乗ったり、歩いたりするようにしているが、そのくらいしか身体を動かしていない。やはり、年を取ったら取ったで運動することが、心身共に健康をキープする一つの方法なのだろうなと二人の事例から思った。


姪のたくましさが私の娘にも欲しい

2021-08-02 08:44:25 | 日々の出来事に関して思ったことや考えたこと

 私が昨年絶交した妹の子どもは、二人とも子どもをもち、妹には既に二人の孫がいる。正直一人も孫がいない身としては羨ましい。私の娘は21の時に、高校時代から交際していた3歳上の人と結婚したが、昨年31で離婚した。その話をしたら、甥夫婦が僕たちも離婚したと言った。姪もパワハラ夫と離婚している。しかし、甥は再婚した妻との間に一歳になったばかりの男の子がいるし、姪はパワハラ夫と別れて、一人で家族にも告げずひっそりと国の制度の支援を上手に受けて出産し、シングルマザーとして子どもを育てている。

 私の娘ときたら、「自分は他の事に自分の時間を取られるのは嫌だし、自分は仕事が生きがいだし仕事に生きたい。」とまったく子どもを欲しいとは思っていないようだ。子どもを産んだとしても、子育ては出来ないという。キャリアが中断すると言っている(まだ、実質的にはキャリアも積んでいないくせにと私は思ってしまうが)

 甥の妻も最初はどちらかというと仕事に生きる系の人で、子どもを持つことはあまり考えられなかったようだが、実際妊娠して出産すると苦労して生まれてきた子どもはこんなにかわいいのか?と思っているようだ。姪は子どもが生まれたことによって、自分に唯一の家族が出来たと思えたようだ。子どものために頑張らなければと子どもの存在が生きる支えとなっているようだ。送ってくれた写真をみれば、姪がどんなに娘を愛しているのかがよくわかる。

 娘は仕事も、先輩のパワハラをきっかけにうつ病が酷くなり、自殺未遂をした。親である私が店長に相談して、シフトの配慮などをしてもらいどうにか務め続けたが、そのお店もコロナで撤退。せっかくスキルアップを目指し再就職した仕事先でも、先輩の否定的な言葉でフラッシュバックを発症して、キャリアップの為の最初の実技試験が、手の震えで受けられなくなってしまったので、また辞職してしまった。

 娘は明日からまた新たに再就職した職場に通い始める。労働条件はいいところのようで、娘は長くそこで働きたいようだが、またそこで前回と同じような事にならないかと私は心配だ。心配することは、かえってそういう事態を招くのでよくないらしいが。

 親にも何も苦労も掛けずに、子どもまで産み育て、更に亡くなった父親の借金や事業をたたむための諸雑事まで一気に引き受けている姪と比べ、私の娘はまだ一人で生きていくことさえままならないでいる。親子断絶しているとはいえ、姪のたくましさが私の娘にも欲しい。まあ、娘は父親に似てしまったのか、精神的な打撃が身体の症状として表れてしまうタイプなので仕方が無い。そしてその心配を父親である夫に共有して欲しいのだが、その負の遺伝を娘に与えてしまった夫はそういった話をしようとすると、「聞きたくない。」と話を聞いてくれようともしない。


一気に6人のお客さん

2021-08-02 07:51:06 | 日記

今月末に、祖父に会いに行きたいが都合はどうか?と聞いていた甥が一昨日日曜の午後3時から6時の間実家から戻る途中に、立ち寄りたいという連絡があった。特に用があるわけでもなかったので了解した。

 しかし、本音はあまり来て欲しくなかった。身内とはいえ、再婚した奥さんとその間にできた子どもも連れてくるとなると、掃除や片付けもしなければいけないし、もてなす飲食物も用意しなければならない。

 そして、以前から6月末に亡くなった父親の借金や仕事をたたむ処理が出来たら大阪に戻るが、その前にやはり祖父に会いに来たいと言っていた甥の妹にあたる姪に知らせたら、今日会いに行きたいがいいか?ということだった。こちらも駄目とは言えないので、了承した。ただし、バッティングしないように、甥が来る時間より少し早く来ると言うことだった。しかも、電車か父親の残した車で来るかと思ったら、亡くなった父親の親友だった70代のフランス語の先生(実際はヨガとか呼吸法を教えている)人が運転してくれるのでその人に連れてきて貰うと言うことだった。

 姪はどちらかというと兄を避けているらしく、兄夫婦が来る前に来たかったようだが、実際、お昼を食べたりチャイルドシートを購入したりしたので、出発が遅くなった。なので、つく時間は午後三時をちょっと出た頃だと連絡があった。

 これではバッティングしてしまうではないか?と思い多少焦った。午前中にフルフールに朝9時から並んでミックスフルーツゼリーを4つ購入したが、それは甥夫婦と私達親子の分として計4本だった。

 

 まあ、大人用はそれでいいとして、4歳の幼児用もいる。なので姪の娘は何アイスが好きか聞いて、バニラアイスを買いに行った。今回は近くのスーパーなので自転車をこいでいった。3時過ぎにどの辺り?と聞くと今ついたということだった。外に出ると黒の軽自動車からおじいさんと姪親子が降りてきた。姪の父親の親友だった方はロジャーさんとか言っていたが、なんでも日本人かと思っていたら、小柄なフランスから帰化したおじいさんでロジェと自己紹介してくれた。とりあえず三人に家に上がって貰い、麦茶やゼリーを出していたら、程なくして甥親子が来た。今まではシェアカーだったが、どうも車を購入したようだった。

 家は介護用ハウスとなってしまっているので、床の居間に父親のベッドがその隣に父親が布団で寝ていた頃の和室があるがそこはかなり父親の物置状態になっているので、お客さんが来ても落ち着いてって座って貰える感じでもない。結局台所と居間の境とかそんなところに居て貰うことになってしまった。

 スリッパも数が足りなくて、使ってない古いのを引っ張り出したりしたが、夏であるおかげか皆結構素足で上がってくれたので助かった。甥の新しいお嫁さんは、かつての駅伝選手として名を馳せた人なので割合有名な人ではあるが、気さくな人だった。

 姪は母親と断絶状態なので、ここで初めて兄夫婦とその子どもとの対面となった。つまりいとこどうしの対面もこれで初めてだ。

 甥のお嫁さんがフルフールのゼリーを痛く気にいってくれたので、わざわざ朝9時に買いに行ったかいがあった。

 帰る前に母親(甥姪にとっては祖母)のお墓にお参りして帰った。

 気が重かったが、一気にお客さんが片付いてくれて良かった。