ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

金環日食を見れるかな。

2012年05月20日 | 季節の話題
 新聞、テレビ、雑誌とマスメディアを中心に世紀の天体ショーとして明日の朝に日本全国の8千万人以上の人が見ることができるという、金環日食が前日ということもあって、大いに盛り上がっている。

 しかし、関西地方の天気は曇り時々晴れ?という感じの予報であり、さて明日の朝になってないと不明だが、282年ぶりとも言われている金環日食が見られるのであれば、ぜひとも少しでも見てたいと思うのは当然のことだと思うのである。

 裸眼で太陽を直接見てはいけないということで、ここ数週間はいろんなお店に「金環日食観察メガネ」などを含む観測グッズが売り出されていたのだが、日増しにその天体ショーを見たいと思う人たちによって、それらのグッズは完売したとの貼紙がしてあったり、そうしたグッズの中には不良品とでも言うべき商品もあったらしく、今更買った人たちにとっては残念なことだが、自らの工夫で目を痛めずに観察できる方法を考えるしかないと思われる。

 我が家でも妻が牛乳パックの使用後の箱を切って、アルミホイルを注ぎ口のところにテープでとめて、小さな穴を開けて下の方に5センチほどの観察用の窓を開けるという、お手製の観察グッズを作って、小学五年生の孫が持ち帰ったり、私たち用にももうひとつ作っとかんとあかんと、先ほどもうひとつの牛乳パックで作った日食観察用器が出来上がっているのだが、果たして明朝に役立つかどうかは疑問である。

 そういえば、遠い記憶にあるのが自分自身が小学生の時だったと思われるので、50年近く昔のことなのだが、金環日食ではなかったと思われるが、皆既日食か部分日食と呼ばれる現象をたぶん学校から帰ってからの時刻だったと思うのだが、自分の学校で使用していたセルロイド製と思われる下敷きをかざして見た記憶が蘇ってきたのだが、そまの下敷きはガスコンロの上でちょっと離して火をつけて、その煤を下敷きに当てて、スリガラス以上に曇ったお手製の日食グッズをかざして見ていたことを間違いなく記憶しているのである。

 その際に、玄関先の生垣の後ろにその時の部分日食の陰が木漏れ日の如く小さな葉や枝だの向こうにたくさん見えていて、とても幻想的なしかも美しい光景だったことを思い出したのである。

 全国各地とは言え、お天気次第なので、いくら早朝から期待しつつ起きても、ひょっとしたら見ることができないかもしれないのだが、たぶんテレビ局の撮影隊が全国各地のスポットで天気のいい地域で、とても上手に今回の金環日食を撮影したビデオが明日のお昼から晩にかけて、いろんな局で放映されると思われるので、もし直接見ることができない場合は、そのテレビ局の映像で楽しむこととなるのだろう。

 それにしても、今回の様に太平洋岸を中心に九州から東北地方にかけての広い地域で、金環日食が観察できるというのは、なんと平安時代に遡ることとなる8百年以上も前にあった以来らしく、何ともこの時代の明日に生きているであろう日本人の一人として、何ともラッキーでもあり、是非何とか見届けたいと思うのも当然なのである。

 多くの天文学に造詣の深い学者や研究者たちが太陽と月と地球の自転や公転と位置を計算した結果として、間違いなく「金環日食」が起こるということを事前に告知してくれているので、ドリカムの20年前の歌の歌詞にも、2012年のその時に「リンク」を頂戴と言うロマンチックな言葉が綴られていたそうで、本当に明日婚約指輪か結婚指輪を手にするカップルがいるとすれば、とてもハッピーなこととなることは間違いないと思われるのである。

 そうした計算に基づく予告のなかった時代には、人々はこうした現象をどの様に感じていたのだろうかと想像するのも不思議なことなのだが、平安時代に「金環日食」を見た人々や、短い時間だけだが、太陽が欠けて辺りが暗くなって、木漏れ日の欠けた太陽のシルエットを見た人たちは驚いただけではなく、世の中の最後か終末という感じの絶望感に似た気持ちを味わったのではないかと思うと、現代に生きる私たちは実際に金環日食を見れても見れなくてもとても幸せな時代の人間だと思うのである。

 

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