ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「墓参り」のはしご。

2011年08月11日 | ファミリーイベント
 八月十一日、今週末から来週にかけたお盆休みに、先祖の「墓参り」には行かねばと思っていたのだが、ちょうど家内が昨晩、明日は1974年に亡くなった自分の父、私にとっては義父が建立した自分の両親、つまり妻にとっての祖父母と共に埋葬されている義父のお墓参りに行くというので、久しぶりに私も同行し「泉南メモリアルパーク」と称する「大規模お墓団地」に出かけ、その帰りに私の父を含む先祖が眠る「大阪市瓜破墓地」に出かけることとなった。

 たぶん、13日の土曜からは、大変な混雑さえ予想される「お墓参り」のピークなので、少しでも早く行けたらと思っていたのだが、実は義父の命日が17年前の今日なので、お墓参りということで妻が思い立ったのであった。

 実は、17年前の義父が亡くなった日には私は生憎、中国内蒙古自治区へ出かけていて、数日前に義父とは大阪の妻の実家で話もして入院の件は知っていたが、その数日後にまさか亡くなるとは夢にも思っていなかったので、数年前からの恒例となっていた、夏休みの「内モンゴルツアー」を企画し数人の仲間を引率する形で、大草原での遊牧民との交流とゲル生活、おまけに乗馬を楽しむ一週間を過ごしていたのであった。

 当時はまだ関西空港がなかったので、大阪伊丹空港から北京へ飛んで、翌日に夜行列車で内蒙古自治区の東南部にある中核都市赤峰に入り、それから一泊二日かかって内モンゴルの大草原に到着するという旅で、たぶん草原生活の四日目か五日目だったと思うが、私自身が落馬し腰をしたたかに打ったために翌日、翌々日に激痛が走り、なんとか北京に戻った際に日中友好病院での診察を受けたのだが、なんと「骨折している。二ヶ月入院すると共に三ヶ月はコルセットで固定せよ」との医者の診断にびっくりしたことを今でもはっきりと覚えている。

 そこで、やむを得ず国際電話で大阪の実家にいる妻に「骨折した」ことを伝えようと電話をして、はじめて義父が亡くなったことを知ったのであった。

 今から17年前の出来事だが、当時はまだ携帯電話が内モンゴル草原からは送信したりできない状態だったので、私の事故?による「骨折」を伝えるまでに3日間がかかったことになるが、当時も感じたのだが義父が亡くなった命日になった日に私は、ひょっとしたら落馬していたのかもしれないのであった。

 すぐに帰国できる状態ではなく、同行されている仲間を北京郊外の万里の長城にお連れする予定も、私の不慮の事故での骨折で止む無く、慣れ親しんでいた北京の通訳さんと私の友人の張さんに引率を委ねて、私は北京のホテルの一室で腰の痛みを我慢しつつ、衛星放送テレビで一日中、夏の高校野球の準々決勝戦の四試合を観続けていたのであった。

 骨折と診断された私の腰だったが、病院の医師に入院が出来ないので痛み止め注射と服用薬を貰い、念のためにレントゲンの写真を預かって返り、帰国してから自分自身で日本の病院に行って再度診察をしてもらって必要な処置と入院が必要ならしょうがないと思って帰国の途についた。

 当然、義父の通夜や告別式は全て終わっていて、私自身はとんでもないというべきか人生初の骨折という大変な事態の最中にあって、妻をはじめ私の家族、友人たちも巻き込んで「大変なことになった」と、帰国した大阪国際空港に妻と友人たちが車椅子まで用意してもらって待っていてくれたのであった。

 私は北京空港でだいぶ痛さがましに感じたのかストレッチャーも使わず歩いて帰国の途についていたので、帰国手続きを済ませて自らの足で歩いて妻たちの待つロビーへと帰れたのであった。

 大騒ぎとなっていたのは、「もう下半身不随の生活となる」とか「車椅子生活を余儀なくされる」とか最悪のパターンの想像が拡大していたらしく、妻や友人たちは自分の足で帰ってきた私を観て「拍子抜け」したらしいのであった。

 実は、翌日大阪のとある病院の外科の診察を受けて、中国から持ち帰ったレントゲン写真も見せたところ、日本の医者は「全く骨折はない、強打した打撲傷」だと診察してくれて、診察通りその後一週間ほどで全く痛みもなくなり、幸いにも平常生活に戻れたのであった。

 とにかく、人騒がせなこととなったのだったが、私自身の大怪我、骨折はなく良かったのだが、妻の父の死に目には会うことが出来ないばかりか、馬からの落馬で骨折という事故や診断がなかったら、電話すらしてなかったと思われるので、なにやら「ムシの知らせ」ではあるまいが、帰国の途についた折には義父が亡くなったことを知る立場であったことだけは幸いだったのかねも知れない。

 私の記憶では義父が亡くなる約10日前に妻の実家の玄関先の部屋で、亡くなった義父としばらくいろいろと話していたので、なんだかお別れの会話となったのかもしれないのだが、なんとも信じられない義父の訃報であった。

 それから17年経った今日、義父のお墓参りをし、また42年前に亡くなった私の父の墓参りも夫婦ですることが出来、ほんとうに人の一生、いのちがいつ何時どういう形で亡くなってしまうのかは予想もつかない場合が多いのだが、間違いなくそうした祖父母や父母、また親戚があってこそ、今の自分たちが生きていることなのだから、やはり当たり前のことなのだが、祖先に感謝して元気に墓参りが出来る幸せを感じた一日であった。

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