ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

孤独死の増加!

2014年05月25日 | 感じたこと
ここ数年、私は高齢者のお宅を中心として、毎日お弁当を配達する仕事を請け負っていて、主に午前中から午後にかけてお届けしているのだが、高齢域にさしかかっても毎日お元気に出歩いたりされている方もおられるのだが、毎日気候のことやよもやな話を少しして届ける方もいるが、毎日お弁当を保冷剤と共にハッポの箱に入れて玄関先に置いてくるお客様も十数軒あり、多様なお暮らしの実態があるのである。

 そんな中に、昨年の正月明けには、一人のご年配の女性で息子さん家族とアパートに同居されていた、推定80くらいのおばぁさんが残念ながら自ら命を絶たれてしまい、正月明けに息子さんたちがアパートに帰られた時に発見されるという痛ましい事件があり、大晦日前にお目にかかっていた私に警察から事情を聞く電話があり、びっくりするやら戸惑うやらの事件に遭遇した。

 ふりかえって思い出してみれば、一年数ヶ月間平日のみとは言え、毎日アパートの玄関口で顔を合わせて、二言三言は喋っていたお客様のお一人だったので、とても信じられないと思うと同時に、それなりの前触れがあった様に感じて、何かしてあげられなかったかと少し後悔する部分を感じたのが正直なところであった。

 というのは、お届けする様になって以来、実の息子さんと奥さんとお孫さんとの同居なのにも関らず、玄関の扉を開けてすぐ右側の六畳間と思われる部屋にそのおばぁさんが一人生活されていて、奥の台所やリビングへは限られた時間しか入れないという約束事になっていた様で、その方が数週間前に、私は針のむしろの様な生活状態だとおっしゃっていたことがあったのである。

 いくら実の息子や孫との同居といえども、日々の生活は息の詰まる様な環境でのつつましい営みであったと想像すると、他人ではあるが何か助け手になってあげることができなかったかと、今も思い出すたびに後悔してやまないのである。

 そして、一年以上経った今年の数ヶ月前のある日、いつもの様にお届けしている一人暮らしのオジイサンのお住まいであるアパートを訪ねると、玄関先の弁当を入れる鍵付BOXの前に、その方が倒れられているいるのをたので、発見したので、お声をかけて様子をお聞きして、救急車を呼びましょうと提案したのだが、大丈夫との返答があったので体の大きな方だったが、抱きかかえてお部屋の中に運び、ベッド迄運んで横になってもらいお水を飲ませて、一段落したときに再び、救急車を呼びましょうと薦めたのだが、「ええ、娘が来ると思うから」と断られたので、携帯電話を枕元に置いて、くれぐれも無理のない様にと告げて、後ろ髪引かれる思いで、「また明日いつもの時間に来るから」と言い残して仕事にもどったのであった。

 ずっと半日た気にはなっていたが、翌日心配していた気持ちが、まさかの結果となって、私がその方のなくなられた第一発見者となってしまったのである。

 翌日いつもの時間に行くと、アパートのその方の部屋の玄関が少し開いていたので、玄関先から大きな声で○○さんとお呼びしたのだが、返事がなく何度か呼んだ後、「失礼しますよ、上がります!」と告げて狭い奥の部屋の昨日寝ておられたベッドのところに行くと、ご本人はベッドからうつ伏せになって下に落ちた状態で冷たくなってしまわれていたのである。

 大きなため息と共に、自らの携帯電話で119番し、救急車の到着までの数分間に、救急隊員の指示があったので心肺停止状態のその方の胸に両手を当てて蘇生をと試みたが、まったく生き返られる様子はなく、現場に到着した救急隊員の確認でなくなられたのことが明確となり、その後の警察官の到着と監視官らしき方の到着で、現場検証的状況にも立ち合うこととなってしまった。

 私自身も立派な高齢域のおっさんになっているのだが、たまたまかもしれないがここ二年に二件の孤独死とでも言うべき事件、事象に関るはめとなってしまい、益々現代における高齢化時代の孤独死や家族関係の崩壊や亀裂がたくさん生じている現状をつぶさに見て、誰もが孤独死を遂げることのない地域と血縁と友人、知人の縁を大切にした高齢時代を送れるようにと望むばかりである。

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