ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

クリスマスの訃報。

2008年12月28日 | 感じたこと
 「飯島愛」という元タレントが亡くなっていたというニュースがテレビを駆け巡った。

 バラエティ番組を中心に陽気であっけらかんとしたキャラクターとしてタレント活動していた彼女のテレビを通じての姿や言動は見聞きしたことがあったが、昨年突如芸能活動を引退して、どうしていたかなどは知る由もなかった。

 東京のど真ん中の高層マンションの最上階の家賃が月100万円という住まいにひとり暮らしだったというのだが、2001年に自叙伝的なエッセイ集「プラトニックラブ」がベストセラー本となりも約150万部売り上げたというのだから、相当な著作権印税の収入があったのだろうが、私たちの金銭感覚では想像できない競れ部な生活をしていたのだろうか。

 とは言っても、最近の彼女の心身の変化は「落ち込んでいた」らしく、関係者、彼女自身のブログなどからも、その傾向は結果的には読み取れたという。

 「飯島愛」という元タレントなのだが、彼女が若くして一人の人間としての死を迎えるにあたっての心境は、誰とて知る由もないのかもしれないが、どうも精神安定剤と思われる薬の大量の飲みすぎによる死去という推察が今のところされているみたいである。

 私自身は、彼女に特別な関心や興味を持つものでは決してないのだが、こうしたテレビを通じてのタレント業を生業にしていた人たちにある、ひとつの虚像と自分自身という生の人間性との間にある「ギャップ」が彼女を死に至らしめたような気がしてならない。

 すなわち、飯島愛という女性が本名かどうかも知らないが、高校生の時に家出をして、転々としてAVビデオの女優や水商売にも足を突っ込んで、いろんな派手な稼ぎの職業につきながら、ひとつの成功といえるのかどうかは判断しがたいが、有名な存在になって、晩年は「テレビタレント」として活躍したことは事実である。

 しかし<その「飯島愛」という私たちが知る一部の「虚像」が、果たして本人自身の実像と一緒だったかどうかは全く知る由もないのである。

 つまり、彼女が「飯島愛」を演じ続けることに「疲れた」のでせはないだろうかと私は推察するのである。

 私たち凡人にあっても、他人との人間関係の中で、自分自身という「弱さ」や「しんどさ」を素直に表したり、本心を語ることの難しさの中で、「まぁいいか」と言った軽い感じで、相手や他人のイメージを放置しながら、いつの間にか「自分に対する特定のイメージ」が定着していて、「あれ自分らしくない」と感じる様な「自分を演じて」しまっている時があるのではないだろうか。

 結局、人は自分という個性やキャラクター、資質に対して一番よくわかっている様に見えて、実は自分自身のアイデンティティと正面から向き合ったり、しっかりとした自分らしさを確認できずにいる場合も多いのではないだろうか。

 つまり、自分らしさを求めつつ、他人がイメージした「自分自身の虚像」を半身半疑ながら、知らぬ間に自分として演じつつ、ある時、本来の自分らしさとの大きなギャップを埋めることが出来なくなって苦しんだり、落ち込んだりはしていないだろうか。

 自分らしく生きることの難しさ、素直に生きることの大切さを改めて気づいた。
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