ガリバー通信

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マハトマ・ガンジー。

2008年12月07日 | テレビマスコミ
 今年の夏休みは、久しぶりの一人旅でネパール、インドへと行った。

 約二週間の旅はプログ上でも報告したが、インドの首都・ニューデリーでの最終日は地下鉄も利用したが、ともかくよく歩いた。

 デリーでのただひとつの目的が、あの独立の父と言われる「マハトマ・ガンジー記念博物館」に行くことだった。

 しかし一リットルのミネラルウォーターを片手に、地図と人づてに尋ねながら目的地に向かい、汗びっしょりになって午後3時過ぎに到着したのに、その日が生憎月曜休館日で入ることができなかった。

 人口が11億人を超え、世界一人口が多い中華人民共和国、中国についで2番目のアジアの先進国になること間違いなしのインド共和国だが、中国は一人っ子政策の影響で人口増が横ばいなのに比べて、インドは急増していて、近いうちに世界一の15億を超える大国となると言われている。

 そんなアジアの大国、インドの独立の父と呼ばれる正式名、「モハンダス・カラムチャンド・ガンディー」は、1869年10月2日生まれで、1948年1月30日に暗殺された78年の生涯だった。

 先日、NHKの「こだわり人物伝」で紹介されたドキュメンタリーの最初の回を少し見たのだが、彼の「インド独立運動」は、非暴力、不服従運動であり、アメリカの黒人指導者、アーサー・キング牧師にも多大な影響を与えたとされている。

 私は、彼が非暴力、不服従運動を原則に戦ったこと端知っていたが、「塩を作りに行こう」と「みんなで糸を紡ごう」という二つのアクションで、大英帝国イギリスからの独立を獲得したことを初めて知った。

 番組では、ガンディーを「稀代のパフォーマー」として紹介していたが、熱い民衆の心を呼び覚ますための行動を、強いアジテーションや強引なスタイルでなく、素朴でコツコツした方法で、賛同させて多くの人たちを動かしたことに、私は感銘を受けた。

 彼の名言に、「良いものはカタツムリのように進む」というのがあるが、彼の意思の強さと目的のために黙々と続ける生き方は、まるで「行者」のごとき姿であった。

 性格的には、自分に厳しく、他人に対しては常に公平で寛大な態度で接し、親族に対しても極端な禁欲を強いて反発を招くこともあったとされている。

 イギリスの塩と綿製品の独占に対して、インド人自らの塩作りのための「塩の行進」と「インドの糸車を自ら回す」という静かな運動が、インドの独立を勝ち取ったことは偉大で尊い彼特有の精神と行動規範として注目された。

 こうしたインドへの抵抗運動などで何度も投獄されたガンジーだが、民衆の支持を得て、何度も「ノーベル・平和賞」の候補となったが辞退したという。

 ただひとつ納得できないのが、「カースト制度」の撤廃運動をしなかったことである。今もなおインドでは「カースト制」差別社会が根強くあるのだ。
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