中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

3重の理解の鎖

2008年12月07日 | Weblog

先日、日本で2年間ネイティブ中国語教師(文部科学省のプログラム)をしてきた同僚とゆっくり話していて、

「私は中国に来て、赤信号でも渡れるようになりました」と言ったら、

「私は中国に戻ってもまだ日本での感覚がぬけなくて赤信号は怖くて渡れないです!」と言うので、二人で笑いあった。

生活面でも、仕事面でも、お互い「それ、わかるわかる…」と言い合う。


自分のボランティア活動がウェブ記事になった。

今、日本の大学院に留学中の同僚にも教えたら、メールの返事が来た。

いわく、

「そんなに貧乏な貴州省で、JICAのボランティアの皆様は文句なくそこで一所懸命がんばっている姿は忘れられないことです。

私は初代のJICA先生の教え子ですので、学生たちの日本人の先生への強い依頼感(引用注:おそらく、頼りにしてるという意味)がよく理解できます。

そして、自分が教師なので、教師のつらさも喜びもよく理解できます。

今、日本での一人暮らしで、先生のホームシックもわかるようになりました。

だから、こころから、先生に感謝いたします。
これから、一緒にがんばりましょう!」

すごい。私たちは3重に理解しあえる。大学院生活の奮闘も含めば4重に。

特別べたべたした付き合いの無い人でも、家族や古い友人など身近な人たちが自分を理解してくれるのとはまた別の深い理解をしてくれるというのは、いや、ある面ではむしろ身近な人たちよりも自分を理解してくれているかもしれないのは、貴重だ。

文学少女のガラスの10代の頃は、30代で夭折したい…と心に決めていたが、
こういうことがあると、長く生きてあれこれ経験を積むのも悪くないなと思う。