GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

丸谷隆二 彫刻展

2007年09月04日 08時25分14秒 | 美術
引き剥がすという事について考えた。

毎年行われている友人の個展、昨年に引きつづきテーマは「鬼」である。前回に比べて明らかにまとまりのある表現となりテーマと個展会場に安心感がある。

彼の顔を作る技術に関しては突出したものがあり、その完成度は非常に高いと思う。前回はその顔の良さを支えるボディの方に悩みが感じられ若干のちぐはぐさを感じたわけだが、今回はなかなか面白い表現方法を用いている。

そこで、冒頭の「引き剥がす」なのだが、作者本人の思惑は違うところにあると思うが、私が感じたのは鬼はどこの居る者なのか、そしてそれをどう引き寄せるかと言う事。

穏=鬼というのはすでに問題のない事で、闇ではなく明ではない曖昧な世界にいるのが鬼な訳だ。

そこからぬっと首を出し、人の世界に時々姿を現す、そういった瞬間をたまさか人間は目にしてしまい鬼と遭遇してしまうのだ。
非常に丁寧に且つ表情豊かに作られた顔は(彼が言うところでは今回は仏像から学んだところが多いそうだが)いわゆる悪鬼ではなく護法童子のような感じを受ける。本来鬼という物は童子形で表現される事が多い、有名な酒呑童子や金太郎の髪型を見ても「禿、禿童(かぶろ、かむろ)」と呼ばれるおかっぱのような髪型であり、分別の付いた大人とは違う、突然どんな動作をするか予測のつかない「子供」に鬼の姿を重ねたとも言われている。

今回の彼の作品は、童子のような顔を陰から「ぬっ」と突き出したところを作者がその両肩を手でつかんで闇から引き剥がしてきたような力強さとスピード感が感じられた。
なにかつかみがたい物を、創作者自身の腕力、それは力づくという意味ではなく作品のテーマのどこか重要な部分をつかみ取る力で自分の手元に引きつけたという感じのする表現方法で私個人としては顔とボディの調和が取れてきたようにも感じる。
もちろん、完全ではない、顔の皮膚感とボディの皮膚感の違いなど若干違和感の有る作品も無くはないのだがそれは大きな問題ではなく、今回の鬼の表現はかなり良かったと思う。

今回、仏像からイメージを得たという事だが次回は是非その仏像に踏みしかれている「邪鬼」の不屈の表情も参考にしてもらえたら嬉しい。四天王に足蹴にされているのに、どこか薄ら笑いを浮かべているような彼らは「邪」と呼ばれてはいるが「無邪気」ですらあり、私は非常に好きなのだ。

ともあれ、創作者としての彼がテーマとなる対象物を手元に引き剥がして来て、作品にする力を持ったという事が嬉しくて、その晩はうまい酒をしたたかに飲んだのである。

丸谷隆二 彫刻展「ONI・鬼・オニ」9月2日(日)-8日(土)目白千種画廊
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3 コメント

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たのしそー!! (でん)
2007-09-04 17:47:38
明日、楽しんできますね。
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是非に (ゲルマニウム原人)
2007-09-04 22:02:33
今年は昨年よりさらに充実していますぞ!
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ただいまぁー。 (でん)
2007-09-05 11:58:37
行ってまいりました。

話し掛けられそうなっ! 話しかけちゃいそうな感じでした。

上手く表せないけど躍動感ありますよね。

スゴイ+恐かった。
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