本も映画も観てないけど、TVで特番沢山やってるから見た様な気になっちゃうね。
原作本は娯楽本でしょ?で、それに沿って映画作ってる訳だから単なる娯楽作品ってわけだし、ダビンチの作品やなんかの都合の良いところだけつまみ食いしてアナグラム的な遊びをしてる訳だから、調子に乗ってTVもダビンチは何もかもお見通し的な番組作ると恥ずかしいことになるよね。
最後の晩餐という有名な絵をもって昔の作家と違うアプローチをしているのはタブーだった真実を描こうとしたとかって言ってるようだけれどさ。
よ~っく考えよう♪何時のお話?
キリストって(本当はイエスね)2000年前の人でしょ、でダビンチさんが居たルネサンス時代は?
ダビンチさんて1500年頃の人ですよ。我々現代人とたった500年しか違わない。
今なら、世界中のネットワーク使って資料も豊富、色々科学的に解析も出来る(絵の具の成分とかね)訳だからダビンチさんのことも多分こうだったろうって推測することはかなり真実に近いところまで解ると思う訳よ。
それでも、さすがにイエスのいた2000年前はかなり難しい、もっと大昔のことだと解ることもあるけれど多分一番解りにくいんじゃないこの2000年前位から1500年前位が。卑弥呼とかもわかんないしね。ようするに混沌とした時代だったんじゃないかと、中国当たりは解るようだけれど、それでも資料が残ってる邪馬台国ですらいまだにどこか確定出来ないしね。
そう考えると、ダビンチさんがどんなに頭よくたって我々現代人がダビンチさんのこと調べる500年前より更に昔のダビンチさんが調べるイエスさんの1500年前なんて解る訳無いでしょ。というか、解らないから最後の晩餐のイエスの顔もいわゆる長髪のやせ形・白人というステレオタイプ(固定観念)で描いちゃってる訳で、こんな人の真実なんて信用出来ないのではないかと。あの「聖骸布」だって作り物だからね。
最近じゃ短髪の筋骨隆々としたゴッツイ人である可能性があるって当時のイスラエルあたりの人の骨格や時代背景、風俗から当時の平均的男性の顔も作られてる位だしね。
今回、キリスト教関係者がぶつくさ言ってるのはキリストとマグダラのマリアの婚姻と子供の話だよね。
ちょ・ちょっとまてよ!(by 堀)
これはユダヤ教の方では昔から解決済みでないの?
イエスはユダヤ教の改革派的あるいは素朴派的な位置だった訳で、キリスト教じゃなかったよね。ユダヤ教で言うと「ラビ」という聖職者なわけで、当時ユダヤ教の聖職者は結婚・妻帯していることが信用度を増す上で当たり前のことだったのは普通に本に出てくるもの。
ただ、偶像崇拝好きなギリシャ・ローマキリスト主義が広まってからは、キリスト教側からはイエスの神聖を守りたいが故にそのことはタブーにしているけど、イエス=ユダヤ教徒と考えるべきだから妻帯していて当たり前な状況だと思うのよね。
単純にダビンチさんはイエスとその周りの人を使って実はただの普通の人を描きたかっただけじゃないのって気がする。有名な岩窟の聖母子像だっけ、あれも最初の作品はごくごく普通の親子の絵を描いちゃってる位で、それにクレームつけられちゃったからしぶしぶ聖なる印を付け加えた、けど、作品としてはイマイチないやみな作品を納品したりしてる位だからね。
当時絵を描くと言えば宗教画か肖像画ぐらいしか無かった時代で、それでも普通の絵が描きたいなぁって思っちゃった天才が異端審問にかけられない方法を模索した中での製作って事何じゃないかと、私は思ったりした訳です。
原作本は娯楽本でしょ?で、それに沿って映画作ってる訳だから単なる娯楽作品ってわけだし、ダビンチの作品やなんかの都合の良いところだけつまみ食いしてアナグラム的な遊びをしてる訳だから、調子に乗ってTVもダビンチは何もかもお見通し的な番組作ると恥ずかしいことになるよね。
最後の晩餐という有名な絵をもって昔の作家と違うアプローチをしているのはタブーだった真実を描こうとしたとかって言ってるようだけれどさ。
よ~っく考えよう♪何時のお話?
キリストって(本当はイエスね)2000年前の人でしょ、でダビンチさんが居たルネサンス時代は?
ダビンチさんて1500年頃の人ですよ。我々現代人とたった500年しか違わない。
今なら、世界中のネットワーク使って資料も豊富、色々科学的に解析も出来る(絵の具の成分とかね)訳だからダビンチさんのことも多分こうだったろうって推測することはかなり真実に近いところまで解ると思う訳よ。
それでも、さすがにイエスのいた2000年前はかなり難しい、もっと大昔のことだと解ることもあるけれど多分一番解りにくいんじゃないこの2000年前位から1500年前位が。卑弥呼とかもわかんないしね。ようするに混沌とした時代だったんじゃないかと、中国当たりは解るようだけれど、それでも資料が残ってる邪馬台国ですらいまだにどこか確定出来ないしね。
そう考えると、ダビンチさんがどんなに頭よくたって我々現代人がダビンチさんのこと調べる500年前より更に昔のダビンチさんが調べるイエスさんの1500年前なんて解る訳無いでしょ。というか、解らないから最後の晩餐のイエスの顔もいわゆる長髪のやせ形・白人というステレオタイプ(固定観念)で描いちゃってる訳で、こんな人の真実なんて信用出来ないのではないかと。あの「聖骸布」だって作り物だからね。
最近じゃ短髪の筋骨隆々としたゴッツイ人である可能性があるって当時のイスラエルあたりの人の骨格や時代背景、風俗から当時の平均的男性の顔も作られてる位だしね。
今回、キリスト教関係者がぶつくさ言ってるのはキリストとマグダラのマリアの婚姻と子供の話だよね。
ちょ・ちょっとまてよ!(by 堀)
これはユダヤ教の方では昔から解決済みでないの?
イエスはユダヤ教の改革派的あるいは素朴派的な位置だった訳で、キリスト教じゃなかったよね。ユダヤ教で言うと「ラビ」という聖職者なわけで、当時ユダヤ教の聖職者は結婚・妻帯していることが信用度を増す上で当たり前のことだったのは普通に本に出てくるもの。
ただ、偶像崇拝好きなギリシャ・ローマキリスト主義が広まってからは、キリスト教側からはイエスの神聖を守りたいが故にそのことはタブーにしているけど、イエス=ユダヤ教徒と考えるべきだから妻帯していて当たり前な状況だと思うのよね。
単純にダビンチさんはイエスとその周りの人を使って実はただの普通の人を描きたかっただけじゃないのって気がする。有名な岩窟の聖母子像だっけ、あれも最初の作品はごくごく普通の親子の絵を描いちゃってる位で、それにクレームつけられちゃったからしぶしぶ聖なる印を付け加えた、けど、作品としてはイマイチないやみな作品を納品したりしてる位だからね。
当時絵を描くと言えば宗教画か肖像画ぐらいしか無かった時代で、それでも普通の絵が描きたいなぁって思っちゃった天才が異端審問にかけられない方法を模索した中での製作って事何じゃないかと、私は思ったりした訳です。
原始時代から生きてるんだって。
クロマニヨン人に友達はおらんぞぅ……