愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

ロシアの予備役招集

2022-09-22 | 日記
ロシア-ウクライナ戦争で、ロシアが予備役を招集すると発表したそうだ。戦争のさらなる長期化を見据えて、兵力動員への道を付けようということなのだろう。ウクライナ側は「クリミアをも取返すまで続ける」と言っているので、それを正面から受け止めれば最終的には「クリミア半島の支配権を掛けた戦争」になるわけだ。ロシアとしては、ロシア帝国の時代にトルコ・イギリスなどとの戦争で勝ち取ったクリミアを取られるわけには行かないという気持ちがあるらしい。
 今の「プーチン政権のロシア」は、我々から見れば「ソ連崩壊でそれぞれが独立した多くの共和国の一つに過ぎない」ということだが、ロシア側からみれば、そのソ連崩壊の時に「本来ロシア共和国の一部だったクリミアが、フルシチョフが勝手にウクライナに割譲されたのだ」という怨念を忘れられないのだろう。フルシチョフがウクライナ出身だった?と聞くと、その「今になって思えば、クリミアはまんまとウクライナに盗まれたのだ」との怨念も、分からなくはない。ウクライナ戦争について日本政府の誰かの「第二次世界大戦終了時に確定した国境を変更する試みは許されない」との発言をニュースで聞いたが、「もしそれを言うのなら、第二次世界大戦後に勝手にクリミアの国境を変更したウクライナ出身のフルシチョフは許せない」ということになるのだ。
 日本の政治家の不見識には今さら別に驚かないが、少なくともロシアとロシア人の多くにとって、「ずっとロシア領であったクリミアが、フルシチョフによって掠め取られた」という認識も存在することは確かのようだ。それも「第二次世界大戦後」のフルシチョフの時代に。ソ連崩壊のゴタゴタの中で共和国が独立した時に「西側」各国がかなりの口出しをしたことも、ロシア(プーチンのロシア?)に「怨念」を抱かせて来たのだろう。それは、西側が関与する形の問題解決を難しくしている要因の一つかもしれない。
 「プーチンのロシア」に肩入れする気は無いが、ソ連時代に比べれば「弱体化」し国際的な発言力・存在感もかなり小さくなった「ロシアの不満」をほぼ無視したままで、「西側諸国の思惑で世界を動かそうとしている」ことがどこまで思惑通りに進むのかには注意を要すると感じる。世界は「それぞれに独自の不満を抱いた国々で構成されている」のだから、それらを無視しているだけでは「不満を抱く者たちの共闘」を生み兼ねないという面もある。
 ロシアが本格的に長期戦体制を構築するつもりだとすれば、国連決議をめぐって、「ロシア支持」とは言わないまでも「反ロシア体制に組しない国」が予想外に多かった理由を、きちんと整理しておく必要があるのじゃないか・・・と。少なくとも、その「棄権の多さ」が西側にはショックだったのじゃなかろうか。ずっと米国べったりだったサウジアラビアが米国の石油増産要請に非協力的なこと、中国と反目するインドが中立・棄権の立場を取っている理由、それを分析し彼らを「反ロシア側」に引き入れることはできるのだろうか。少なくとも「ロシアへの共感」を消し去ることは、長期戦に向けて大切な課題じゃなかろうか。
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日本の値段

2022-09-21 | 日記

このところ、歯止めの気配を感じさせない円安が進行している。表面的には為替レートの変動・円の下落によってそれを認識するのだが、それが「実際の日本経済への世界的評価」に結び付いているような気がしてならない。つまり、日本の低金利政策による「金利差による円離れ」だけでなく、実のところはその裏側に「日本の価値の下落」を感じ取っての円離れが有るような気がしてならない。

 それは、いろんな方面で指摘され表にあらわれて来る「失われた30年間」の「一人当たりGNPの低迷」や「研究開発費の低迷」など、そして結果として伴う「日本の経済力や研究開発力の相対的な位置の低下」に起因するのは明らか。低金利政策で一時的な「景気の良さ」を演出しは見たが、結局はそれが何年経っても「実質経済の伸び・発展には繋がって行かない」という、「日本社会・経済のな体たらく」を目の当たりにして来た世界の資本が、「徐々に、そして確実に」日本を見限り始めているのだと感じられてならない。

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英国女王の葬儀

2022-09-20 | 日記

英国女王・エリザベス二世の葬儀が国葬で行われた。この国葬は英国議会における承認を受けて実施されたもので、しかも在位中の女王を追悼するという葬儀なので、どこかの国の「内閣の一存で決められるのだ」という得体の知れないものとは全く異なる。テレビニュースでその一部を見たに過ぎないが、一つ一つに英国の伝統が感じられ、おそらくはこれまでの国葬や王室メンバーの葬儀の伝統に基づくやり方で進められたのだと感じた。ニュースでは、その手順のかなりの細かなところまで亡き女王自らが関わって、予め決められていたと伝えられていた。

 女王の棺を目にして直接追悼を捧げる人々の行列が数キロに及び、24時間以上も並んで順番を待つ人々が沢山いたというニュースや映像を見て、エリザベス二世の存在が英国の人々にとってどれだけ身近で大切な存在だったのかを再認識させられた。在位期間が長かったこともあり「エリザベス二世を直接目にしたり会ったりしたこののある人々」の数もそれだけ多くなっただろうし、「英国国王・女王と言えばエリザベス二世のこと」という世代も多く居るだろう。

 英国の歴史においても、女王の座についた時は、まだ「大英帝国」の香りが残っていた時代だっただろうし、今も世界を率いる主要な国々の一つである英国の「女王」であるわけで、言わば世界でも「王と言えば英国女王」と言って良いくらいの存在感を示し続けた女王だった。そして、20世紀後半から21世紀にかけての世界情勢の大きな変化や激しい変革が続いた中にあって、英国の人々にとっては長い間ずっと「英国の象徴」として受け止められていたのだろうと、あらためて感じさせられた。

 ニュースでの葬列の様子を見ていて、古くからの伝統に現代的な考え方や見識を調和が感じられた。英国の確固たる伝統と自信に裏付けられた落ち着きと誇りが伝わって来る葬儀だと感じた。

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過去最大の台風

2022-09-19 | 日記

「過去最大級の台風が来る」というので、ガラス戸には補強のテープを張り、夜中の風の強まりに「固唾を飲んで」身構えていた。しかし風はその後は強くなることもなく、気が付くと朝となり風の音も治まっていた。またもや、「幸いな事なのだが」緊張は空回りした感が残る。

 ただ、ニュースで周辺都市での瞬間最大風速を見ると、あちこちで秒速30メートルを超える風が記録されていたようで、この瀬戸内地方としては稀に見る強風が吹いていたようである。

 そのように強風を伴う台風が、大きな被害も残さずに寝ているうちに過ぎて行ったのだとすれば、「ある意味、運が良かった」と言えるのかも知れない。これからは、毎年のように同じ体験・同じ緊張が繰り返されるのだろうか。

 いずれは「運が良かった」と言えない時が来ることを考え、心の準備を含めて様々な準備・対策を個人的にも工夫しておけ、という「前ぶれ」の台風が今回の台風だったのだと、そのように考えるのが良さそうだ。

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英国女王の逝去

2022-09-18 | 日記

英国女王・エリザベス二世が亡くなり、世界の多くの国からの弔問・追悼の言葉が届けられているという。エリザベス二世は在位70年に及ぶ長い間の英国君主だったという。今から70年前と言えば1952年となり、第2次世界大戦が終わって「東西冷戦」が本格化し、極東では朝鮮戦争が勃発し、ヨーロッパではベルリンの壁出現前夜の緊張の中での即位だったことになる。

 第2次世界大戦以前の「日の沈むことの無い大英帝国」が徐々に力を失い、大戦後の「米国、ソビエト連邦」という2つの超大国の支配へと変化していく中で、英国もインドなどの独立によって植民地を失い、「植民地経営」による利益を失って行く時代をエリザベス二世は「統治」したことになる。「政治には口出ししない」ということになっていたと言うが、毎週のように首相との対談が行われ、そこでは女王としての「感想」が口にされていたのではないかと推測される。

 その在位期間の中で、2つの超大国の誕生とソビエト連邦の崩壊、ベルリンの壁崩壊に象徴される東西冷戦の終焉と、中華人民共和国の台頭による新たな2大大国支配への序章を見て来たことになる。70年間も世界の重要な国の君主として在位して来たことで、会見した世界各国の首脳の数もおそらく最多となるのだろう。冷戦最中には世界核戦争のボタンに手を掛ける首脳とも直接言葉を交わしたことがあっただろう。世界の主要国にはすべて訪問し、外交の面でも「世界一の外交官」だったと言うこともできるのではないか。

 世界一の諜報機関を持つ英国政府の首相と毎週のように会談していたのなら、必要に応じて重要な外交情報も「細かくは知らずとも」耳に挟んで行動していたはず。少なくとも、重大な外交的状況については肌で感じつつ日々を送っていたに違いない。ロンドン五輪での「ジェームス・ボンドとの共演は女王自らの提案だった」と聞いたが、それは英国女王という立場を世界にユーモラスに「披露して見せた」ということかも知れない。

 いずれにしろ、エリザベス二世は70年間という長い間在位したので、「英国の没落」だけでなく「世界政治・経済における立場の復活」を見ることになり、「東西冷戦の終焉」から「次の2大勢力による緊張への転換期」の前夜まででその生涯を閉じることになったわけだ。かつての植民地独立直後の時期なら、英国だけでなく西欧諸国の「君主」に対する怨念が強く残っていただろう。東西冷戦の最中なら、東側各国からの反応も冷ややかなものだったに違いない。在位70年、英国と世界の様々な時代や思想、経済や政治の変化を体験した「どちらかと言えば運の良い」君主だったと言えるかも知れない。

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