昼過ぎから出掛け、ホームセンター、ドラッグストア、安売り量販店、ガソリンスタンド、ケーキ屋と巡って帰って来た。ぼけ防止ついでに付けている手帳に、今日の行動記録を付けてみた。普段はカタカナで書くことが多いと思うが、何故か今日は店名をアルファベットで書き始めた。書いていくと、巡った店がすべてアルファベット表記だったことに驚いた。日本語をアルファベット表記にしているのではなく、どれも英語由来の名前や英語表記の頭文字を取ったものだ。
普段は何となくカタカナの名称をイメージしていた店だが、思い出してみると看板には確かにアルファベットが書かれていた。手帳に書き終えると、すべてアルファベットの名称が矢印でつながれている。普段行き慣れた店を何気なく5か所も巡って、期せずして全てがアルファベット表記の店になっていたとは。カタカナ・アルファベットを含めて、もはや多くの英単語が既に「アルファベット表記」の単語として日本の日常生活に深く入り込んでいる事を感じる。
かつて漢字を取り込んだ時に、日本語の漢字表記だけでなく「漢語」も取り入れて日本との一部としたように、今や多くの「英単語」がアルファベット表記の「日本語」になりつつある。特に名詞、そして英語表記の頭文字を取って省略したアルファベット数文字で表記されるものは、UNESCOやILOのような組織名に限らずAIDsなどの病名やDIYなどの生き方や考え方を表すものに及んでいる。
つまり、もはやアルファベットはひらがな・カタカナ・漢字と並んで日本語の表記方法の一つになってしまっているという事。加えて、英語の動詞や形容詞も「ワークする」「メイクする」のように「~する」を付けて日本語化が始まっている。それを「WORKする」「MAKEする」と表記することにも違和感を感じなくなるだろう。そのうち日本人の英語教育が進めば、カタカナで書いて日本語発音で読むよりも、アルファベット表記を英語の発音で読む方が自然になるのかも。
英語を英語の表現方法で(英文法通りに)利用することには極めて消極的な国民性なのに、欲しい所だけ「器用に」切り取って自分達の表現法(文法)にくっつけて使ってしまうことには極めて積極的な国民である。「奇麗な花弁や葉っぱをちぎっては自分の羽に刺して聞かざる鳥」の画像を何処かで見たようなきがするが、何となくその鳥の姿が日本人を表しているような気がして来た。