愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

小・中学生のオリパラ観戦

2021-08-26 | 日記

小・中学生のパラリンピック観戦について、いろんな意見・見方・議論が行われている。聞いていると「小中学生の観戦」と「小中学生の感染」という同音異義語の紛らわしさもあり、それに一貫性が感じられない行政側の説明が合わさって、イライラしてしまう。少なくとも中・高学年の小学生や中学生であれば、ある程度の感染対策を守って静かに観戦することは可能であるようにも思える。「学校に行けずに公園でかたまって遊んでいるよりも、広い競技場の観客席に、一定の間隔をあけて座っている方が感染の危険は少ないのじゃないか」、という主婦の直感的意見にもなるほどと思わされる。

 「観戦中止」を決めたというニュースで紹介された中止の理由には「事前検査について行政からの情報が無かったから」というのもあり、結局は行政側の準備不足・認識不足が大きな理由なのか、とも思わされてしまう。小・中学校の新学期開始についても、一定の考え方や基準は作られてないようだが、学校の教室や体育館よりも、屋外である国立競技場の広い観客席で間隔をあけて過ごした方が感染機会は少ないだろう。ケースバイケースならそれで良いから、誰がどこでいつ決断して決定するのかくらいは都や県や組織委員会の方針を打ち出してくれても良いのではないだろうか。これについても、おそらく表に出て来るのは一般論・原則論、実際には基準が判然としないまちまちの対応と混乱が続く中で、気が付いたらいつしかパラリンピックが終わっていたという事になるのだろう。

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オリパラ

2021-08-25 | 日記

パラリンピックが始まった。その開催に反対ではないが、オリンピック後の期間にパラリンピック開催の是非についての議論も少ないままに、当然のようにして始まってしまった感があるのは残念。

 「外出自粛、イベント自粛なのにオリンピックはやっているなんて・・・」という雰囲気が、パラリンピックにも当てはまっている。もともと、オリパラを実施するならば政府・東京都がもっとオリパラの意義の発信に努め、「オリパラを開催するための感染抑制・外出・イベント自粛」という意識が芽生えるくらいの努力をするべきだったろう。それにどこまで賛同が得られたかどうかは、もちろん分からないが、このパンデミック下で開催を決断する以上は、その明確な理由を人々に浸透させるための最大限の努力があって然るべきだろう。その最大限の努力を裏付けるべき休業補償にしても、医療逼迫への対策にしても、とても最大限に努力しているという印象を与えられまいまま、「安心安全」という「空しい宣言」だけが繰り返されたに過ぎない。

 開催の意図を明確にするなら、その意義の達成のために「開催を可能にする状況づくり」に努力するのは当然で、オリンピック前から現在の感染拡大を予想したワクチン接種、臨時病棟・病院づくりに取り掛かるべきではなかったか。感染症の専門家からは「科学的推論に基づく感染拡大の予想」が既に示されていた。「感染早期の投与で効果を発揮する」という抗体カクテルにしても、認可すればすぐに感染早期の患者に投与を始められるシステムを準備しておくべきだったろう。政府・行政がそのような備えを行う中での「開催意義」のアピールでなければ、人々が受け入れられないのは当然。結局のところ「一応、会見ではその意義を説明しました」とアリバイを作る程度に終わり、人々には開催する理由にも疑念を残したままで「何となく開催」になった感がある。

 オリンピックは「安心安全」だったのか?、感染拡大の要因にならなかったのか?。それについても、会見での「オリンピックは感染拡大の要因にはならなかった」という一方的見解のみ。ほぼ誰にも受け入れられていないその見解の根拠も示されないし、根拠に関する質問にも答えられたとは思えない。人々が、「政府はどうせそう言うだろうと思っていた」と受け止める中でパラリンピックが始まったことは不幸な現実だと思う。もちろん、パラリンピックの意義には賛同し、アスリート達の感動的な姿にエールを送る。だが、そのことで「政権の無策ぶり」が打ち消されることは無いし、むしろアスリート達のためにもっと良い「雰囲気・環境」を作れなかったのかという疑問は膨らんでいく。

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男の買い物

2021-08-24 | 日記

「男の買い物」と聞くと、スポーツ車を買うのか? ブランドの腕時計? 輸入物の革靴? ゴルフ道具? 釣り竿? などと趣味の道具か高価な品物でも買うかのようなイメージなのだろうが。いやいや、単にスーパーマーケットで日用品・食料品を買っているだけのこと。週に1・2度、ポイント〇倍とか〇〇の日を忘れて買い物をしてしまうのが、主婦と異なる「男の買い物」とでもしておこう。

 昭和の頃なら「男の方がスーパーでカゴを下げて歩くなんて」とか言う声が、奥様方から聞こえて来そうな気もする。テレビドラマでも、スーパーマーケットで買物する男に「あのご主人、奥さまはどうしたのかしら」という主婦達の噂話のシーンがあったような気がする。しかし今やもう、スーパーで一人で買い物をする男を見掛けることは普通になっている。独身男性が増えたこと、共稼ぎ家庭がふえたこともあるだろうが、何かにつけ行動の男女差が少なくなった時代の表れなのだろう。

 夕食の買物に同行し、メモに沿って買物を進める連れ合いの横で「ふと欲しくなった」肉や加工食品をカゴに入れて行く。もちろん、それをいつどのように調理して食べたいかまでを考えてのことだが、結果として買物総額はあきらかに増えていく。少しでも安くと言う主婦の買い物について行くが、「たまには高くてもいいから」といつもより倍くらい高いものに手が伸びてしまうことも、ある意味「男の買い物」かも知れない。

 欲しいものを2つ3つとカゴに入れ、「じゃあ、これは明日の夜、これはその次の日」と連合いに順番を決められて2・3日分の献立が決まるのも悪くない。「献立を考えるのが大変」と聞く主婦の苦労を少しだけ解決した気がするし、当然それは「自分が希望した献立」であり「好きな給食の献立」のように何となく楽しみにもなる。昔のことだが、「毎日何を食べさせれば良いか考え付かない」という連れ合いとたまに一緒に買い物に行き、「じゃあ、これをこう料理すれば・・・」など言いながら料理したことの無い食材を思いつくままに買ったことを思い出す。

 そんな思い付きで買って来た食材が必ずしも美味しく食べられたとは限らないが、それはそれで楽しくもあり、さらなる工夫で料理のレパートリーも増えて行ったと感じる。何の分からずに帰って来て予期せぬ料理に不平を言うより、ましてそれを美味しいと偽装して食べるよりも、少しずつ献立に口を挟み、たまには一緒に行って自分の好みを知らせたり、「高い食材を買った」責任を引き受けるのも悪くないのでは。家計引き締めを預かる主婦の立場とは明らかに対立するが、何を買わせてもやはり男は「男の買い物」から離れられない生き物なのだ。

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コオロギに

2021-08-23 | 日記

雨が続いた後、久しぶりに夕方の公園を歩くとコオロギの鳴声が聞こえて来た。蝉の声にしても、長雨の前までは暑い日差しをさらに暑く感じさせるクマゼミの鳴声が響いていたのに、今はツクツクボウシの大合唱になってしまっている。夕方に少しだけ聞こえていたヒグラシの声も、もう聞こえなくなった。コオロギはまだ一匹か二匹で微かに鳴いている感じだが、夏から秋への季節の移り変わりを気付かせる。

 夏の暑さが雨で流されてしまった間に、季節はコオロギの声が聞こえるところまで進んでいたということ。何となく、夏を盗まれた気分になる。まだ他の虫の音が聞こえないので、少しだけ夏が足踏みして残ってくれているようにも感じる。今年の夏の日差しは、あと何日残っているのだろうか? 夏休みの時期が終わると、同じ暑さが「残暑」でしかなくなる。夜の虫が鳴き始める前に「今度晴れたら海を見に行って見ようか」・・・「夏の欠片を拾い集めに行くか」。

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アフガンの人々

2021-08-22 | 日記

アフガニスタンでタリバンが政権を掌握したというニュース以来、カブール空港で飛行機に群がる人々や反タリバンのデモなどの映像が連日流れている。彼らの全てが民主主義を信奉する人々なのかどうかは分からないが、少なくともタリバンを嫌う人々や怖れる人々だろうと思われる。その群衆の中の多くが、生命の危険を感じているのだろうし、特に反タリバンのデモを行えば撃たれる可能性を覚悟した上の(おそらく外国の視線を意識して)命を張っての行動と思われる。

 そのようなアフガンの人々の姿を見るにつけ、その姿を20年間アフガニスタンの政権を担った人物や組織が欧米勢力の撤退と共に早々と消え去ったことと対比してしてしまう。アメリカを主とする欧米諸国の20年間の支援の中で、そのような反タリバンの人々が自分達の力でより民主的な政権を闘い取るようなプロセスへのテコ入れがなぜできなかったのかと。

 欧米諸国の都合の良いように振舞う人間や組織ではなく、その支援を頼りつつも、あくまでも自らの国の建設を本意として命を懸けようという人々を、どうしてアメリカなどの国は見つけられなかったのだろうか、と思ってしまう。20年間かけてアメリカなどが支え続けた政権の代表人物は、いざとなると反タリバンの意思表明に命を張る民衆を置き去りにし、自分だけ現金を持って早々と国外脱出してしまった。もう何度も同じような光景を見たような気がする。民主化を望むならば、本当に民主的な人々に「民主的プロセスを通して」援助し続けなければならない、とまた悟らされたような思いがする。

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