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公共インフラの老朽化

2020-12-02 | 日記

2012年12月2日に起きた笹子トンネル天井版の崩落事故からちょうど18年、という見出しを見て事故当時のニュースを思い出した。トンネルの天井板を釣る金具の取付ボルトの強度不足や老朽化などにより、厚さ8センチ・重さ1トンのコンクリートの天井版が270枚も崩落、通過中の車3台が巻き込まれ9名が亡くなったという事故である。必要な点検や、維持のための改良・修繕が行われていれば防ぐことのできた事故だった。

 当時、この事故のニュースを聞いた瞬間の「高速道路のトンネルの天井が落下する」ということに対する驚きと恐怖、その点検・維持管理が十分では無い?という状況に驚きと怒りが湧いたことを覚えている。しかし、今日、その事故から18年目の番組で、あらためて日本の公共インフラの補修・更新が追い付かないという現状を再確認させられた。そのための費用と人員が不足しているということだ。

 日本という国はGNP(国民総生産)を超える額の公共インフラを持つ、世界でもまれな国なのだという。つまり、公共インフラを補修・更新するには元々「お金が足りない」、言い換えれば維持・補修・更新に必要な能力を超えて一方的に公共インフラを作り続けて来た国というわけだ。それを聞いていて、これから次々に迎えることになる「公共インフラの老朽化」とそれへの対応に、絶望的な気持ちになった。

 それでもなお、日本では公共インフラの「新規建設」に掛ける予算が、「維持・補修」に掛ける予算をはるかに上回っているとか。示されていた数字では、公共インフラ関係の予算の70% 強が「新規インフラの建設」に費やされ、「維持・補修」の予算は30% 弱しかないという。「作るだけ作って、維持管理には予算を使わない」というわけだ。高度成長期という時代から半世紀以上これが続き、しかも今後もそこに変化の兆しがない。とすれば、そのうち公共インフラの多くが「老朽化し、危険な」ものとなってしまうのは明らか。

 日本という国はいつになったら、「維持・管理可能な範囲のインフラ整備」への移行を本気で考え始めるのだろうか。もっとも、このまま手をこまねいて居ても、その移行を強いられる未来はそう遠くないように思える。道路などの公共インフラの「老朽化」が改善されなければ、人体における「動脈硬化」のように、経済・生産活動の低下につながりかねない。維持管理・補修・更新の能力を超える部分は、当然、捨てるしかなくなるだろう。

 そんな状況の到来についてはあまり考えたくないが、その時にはおそらく「使用率や経済効果の低いインフラが多く切り捨てられる」ことになるのだろう。かつての鉄道路線の多くが廃線に追い込まれたように、今はまだ当たり前に使っている多くの道路や橋やダムなどが打ち捨てられ、朽ちて行く姿を見ることになるのだろうか。

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