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安倍総理の「皇室軽視」にモノ申す

2021年10月27日 10時48分50秒 | ●政治・経済・社会問題

安倍総理の「皇室軽視」にモノ申す

以下は、すべて、https://ironna.jp/article/12596?p=1 からの引用です。

●安倍総理の「皇室軽視」にモノ申す

御代替わりに伴う「退位礼正殿の儀」で安倍総理の誤読疑惑が浮上したが、その後の説明もなく「皇室軽視」との批判がある。
重要な皇室行事だけに単なる言葉尻では済まされないからだ。
総理に皇室軽視の認識などないかもしれないが、実は今回の誤読疑惑だけにとどまらない。
これこそ「安倍一強」の弊害ではないか。

木村三浩(一水会代表)

こんなことでいいのか。4月30日、御代替わりを前に執り行われた「退位礼正殿の儀」で安倍総理が述べた国民代表の辞における、いわゆる「言い直し・誤読」疑惑である。「天皇皇后両陛下には、末永くお健やかであらせられますことを願ってやみません」と読むところが何とも不明瞭で、「願っていません」と聞こえることから、読み間違い疑惑が生じたのだ。

陛下の一世一代の重要な儀式の場において、安倍総理は「あらせられます」を「あられます」と読み間違えて言い直し、それに続く言葉も、滑舌の悪さが理由なのか、「願っていません」と聞き取れてしまい、国民に誤解を与えてしまった。これでは意味が真逆になってしまう。

ネット上では、「漢字が読めなかったため誤読したのではないか」と言われているが、実際のところは分からない。ただ、私自身、何度も視聴してみたが、少なくとも「願ってやみません」とはっきりと聞き取れないことだけは事実である。

しかも、これに対する指摘がなされても総理の口から一切の説明がないばかりか、首相官邸のホームページの「総理の演説・記者会見など」の表示形式を変更し、「関連リンク」から飛んでさらに下へスクロールしなければこの動画が見られないようにした。これはあまりに姑息(こそく)なやり方ではないか。

ちなみに、それ以前の演説や会見の模様は、画面を表示するとまず最初に映像が流れるように作成されている。それが、「退位礼正殿の儀国民代表の辞」から突然、文面と画像というスタイルに切り替わってしまったのだ。令和元年5月1日から表示方法を新しくしたのなら、時代の節目ということでまだ納得もできるが、4月30日のアップから切り替わっているのは不自然であろう。

ここで考えられるのは、やはりできることなら「例の映像」を見てもらいたくない、という総理の本音ではなかろうか。

この一件について、もちろんいろいろな意見があることは承知している。陛下の一世一代の大事な場とはいえ、読み間違えてしまうことはある。大きな瑕疵(かし)がなければ、おめでたい行事の意図を尊重し、言挙げは控えるべきだという意見もあるだろう。

たしかに私も、これが天皇陛下の御大典の席でなければ、わざわざ言葉尻を捉えるような指摘はしたくない。「云々」を「でんでん」と読んだとか、「背後」を「せご」と言ってしまったとか、読めない漢字があったとしても、それを理由に安倍氏の総理としての資質に問題があるとは思わない。読めない漢字があれば調べればいいだけのことだ。

私が問題にしているのは、安倍総理がどれだけ、自身が重要な場に臨む立場であることを意識していたか、ということである。しかも、安倍総理は「国民代表の辞」を立場上、述べさせられたのではなく、自ら勇んで「述べさせていただく」と言ったのだ。そうである以上、どんな理由や事情があれ、絶対に粗相があってはならない。あれば大失態だ。大げさに聞こえるかもしれないが、総理に覚悟や緊張感があったのかを問いたいのである。

実は、こうした総理の緊張感の欠如は、昨今の政治課題においても散見される。弛緩(しかん)からくる慢心が、憲法改正の先行き、拉致問題解決の方針転換、消費増税といった課題について、まともに議論をしようとしない姿勢に、ありありと出てしまっている。

単に東京オリンピック・パラリンピックまで総理を続けたくて日々の日程をこなしているだけなのではないか、とすら思えてくるのだ。

実際の生きた政治はどこにいったのか。長期政権だけが取りえではない。政治家の使命として、何をやり遂げたかが重要なのだが、昨今の安倍総理の姿勢はあまりに弛緩(しかん)していると言わなければならない。そして、最も緊張すべきところの御大典においても、それが出てしまったのだ。

安倍総理は、「退位礼正殿の儀」に臨む直前まで外遊に出かけ、非常に多忙なスケジュールであっただろう。ようやく帰国してホッとして緊張感が一気に緩んだかもしれない。だが、どれほど過密なスケジュールだったにせよ、「国民代表の辞」の文言に丁寧に目を通し、何度も練習をしておくべきだった。特に、滑舌がよくないことは総理自身も認識しているはずであり、一言一句ゆっくりと発声するように心がけて事前練習をしなければならなかったのではないか。

もちろん、事前にきちんと目を通し、練習もしたのかもしれない。ただ、例えそうであったとしても、結局、本番でトチってしまったらダメなわけで、そういう意味でも総理の自覚と宰相としての覚悟が欠けていたのではないかと思うのだ。

そしてもう一つ、実際に読み間違い疑惑が浮上しているのだから、陛下にご無礼を謝罪し、国民に対しても潔く説明をすべきではなかったか、と言いたいのである。

私は、安倍総理も天皇陛下や皇室に向き合うときは、軽々しい態度で向き合っていないと信じたい。むしろ、尊敬の念も強く感じられるとは思う。ただ、その一方で自らへの権威付けに皇室を利用しているようにも感じられるのだ。

5月14日には、安倍首相が天皇陛下に行った内外の情勢などを報告する「内奏」の様子を撮影した映像が公開された。宮内庁は「国事行為を広く知ってもらうため」と説明しているが、内奏は、内において行われるもので、無暗(むやみ)に公開するものではない。これこそ皇室を軽視した政治利用であり、「退位礼正殿の儀」での不敬を挽回したいという思いも感じられる。

さらに、さかのぼること平成25年4月28日、憲政記念館で「主権回復の日」を記念する政府主催の式典が行われた。現行憲法は米軍占領下で作られた憲法であるが、本来ならば手続き上、占領下での憲法の制定は国際法違反に当たる。さらに、講和条約とともに締結された日米安保条約によりわが国には米軍基地が今なお存続できる権限を有し、この存在により日本の主権は制限されたままの状態である。

そんな状況下で、そもそも「主権回復」などという認識自体が間違っているわけだが、そこに天皇皇后両陛下の御臨席を賜り、記念式典を開催したのである。これは明らかに、安倍総理が自己の政治的主張に皇室という権威を付加するための行為であったと言わなければならない。

先だっては、今上陛下と面会する最初の外国元首としてトランプ米大統領が5月下旬に来日することについて、同大統領は、安倍総理に「スーパーボウルと比べて、日本人にとってどれくらい重要なイベントか」と質問し、総理から「百倍重要」との説明を受け訪日を決断した、と明かした。

スーパーボウルというのは米プロフットボールの年間王者決定戦のことだが、いやはや、「スーパーボウルの百倍の価値」とは一体何なのか。

安倍総理としてはとっさに機転を利かせて数値化したのかもしれない。ディール(取引)の王様である米大統領にとっては分かりやすい返答だっただろう。だが、本来は日本人にとって皇室が何ものにも比較できない尊崇(そんすう)の対象であることをきちんと伝えるべきではなかったか。あえて数字を絡ませるなら、「プライスレスだ」ぐらいの発想がほしかったところである。

こうした事例から分かるのは、安倍総理の姿勢が場当たり主義で、「戦後レジームの脱却」「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」などというキャッチフレーズばかりが目立っているということである。

しっかりとした思想と哲学、使命感に裏打ちされた何かを成し遂げるというものではなく、昨今は自己保身のためのパフォーマンスに流れているといわざるを得ないのだ。

ところで、今回の一件で醜悪なのは、総理の「事前の準備」と「事後の対応」だけではない。この国の言論空間を見事に証明してしまっているマス・メディアの姿勢である。安倍総理の誤解を招く発言に、メディアがほとんど何も反応しないというのはいかがなものか。

それも、総理が「願っていません」と述べたとすれば、本人の意図ではないにせよ、本来、陛下にささげるべき内容と真逆の意味になってしまうにもかかわらず、一部夕刊紙がこれを指摘しただけで、大手メディアはほとんど沈黙の状態であった。

あるテレビ局などは「願ってやみません」と、わざわざご丁寧にテロップまでつけて安倍発言をフォローしていた。これは、明らかにマス・メディアの安倍総理への「忖度(そんたく)」であろう。疑問点を疑問点としてただしていく是々非々の姿勢がなくなったならば、それはメディアの自殺行為ではないのか。この点も一言付け加えておきたい。

ともあれ、私は皇室を尊崇し敬愛する一国民として、率直に今回の一件の疑問を問うとともに、頰かぶりを続け、政治課題に緊張感を欠く安倍総理の慢心に対して猛省を促したい。

以上



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