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「松尾芭蕉」が「日本歴史」に7回出題される理由

2025年05月11日 14時16分36秒 | ●2025年度<第1次筆記試験>対策
「松尾芭蕉」が「日本歴史」に7回出題される理由
(2025年度受験者への指針)

「日本歴史」において、江戸時代前期の俳諧師「松尾芭蕉」は、過去に7回出題されている「重要人物」の一人です。特に近年では、2018年度(大問2)・2019年度(大問10)・2023年度(大問11)に出題されており、わずか6年間で3回の登場という、注目すべき頻度を示しています。
「松尾芭蕉」の出題実績:(2007)(2009)(2011)(2014)(2018)(2019)(2023)
2025年度「日本歴史の傾向と対策」19ページ)

●2023年度問題
【大問11】
(問2)
下線部(イ)に関連して、江戸から奥州街道を北に向って旅立った松尾芭蕉は俳詩紀行文
『おくのほそ道』をのこしたが、この旅で立ち寄っていない(旧)国名について正しいものを、次の①~④から選びなさい。
①下野 常陸(正解) ③出羽 ④越後

●2019年度問題
【大問10】
(問2)
写真は、後世では「俳聖」として知られる空欄( a )の俳諧師の生誕300年を記念してつくられた建築物である。その人物とは誰か。次の①~④から一つ選びなさい。

①小林一茶 松尾芭蕉(正解) ③与謝蕪村 ④良寛

●2018年度問題【大問2】(問3)
右の写真は
出羽三山のひとつ羽黒山にある五重塔であるが、出羽三山に関連する次の①~④の記述の中で、正しいものを一つ選びなさい。


①出羽三山とは、羽黒山、鳥海山、蔵王山の総称である。
②出羽三山は、修験道を中心とした山岳信仰の場であるが、その修験道の開祖は安倍晴明である。
③羽黒山を参詣した松尾芭蕉は、ここで『閑さや岩にしみ入る蝉の声』の句を詠んだ。
羽黒山の三神合祭殿には、出羽三山の神々が併せて祀られている。(正解)

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松尾芭蕉の重要性と頻出の理由
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「日本歴史」において、俳諧師・松尾芭蕉は、文化史の枠を超えて、地理・宗教・観光資源との複合的な関連をもつ重要人物です。とりわけ、2018年、2019年、2023年と3回にわたる近年の連続出題は、単なる偶然ではなく、出題方針の明確な意図を反映したものといえます。以下、その理由を整理し、2025年度受験者に向けた具体的な指針を提示します。

(1)松尾芭蕉の文化的・歴史的意義
松尾芭蕉は、俳諧を芸術の域に高めた「俳聖」として、日本文化の象徴的存在となっています。とりわけ
『おくのほそ道』において、彼は東北・北陸を巡り、自然・風土・信仰を詩情豊かに記録しました。
その旅路は単なる文学紀行ではなく、出羽三山・平泉・金沢・敦賀など、地域に根差した宗教・歴史・風俗を含んでおり、日本文化の多層性を体現したものと評価されています。芭蕉の句には、その土地の精神文化が結晶しており、まさに「歴史に詩が宿る」瞬間を示しているといえましょう。

(2)観光資源との深い結びつき
全国通訳案内士試験が重視するのは、通訳案内の実務に直結する歴史知識」です。芭蕉が訪れた地の多くは、現代においても訪日外国人観光客が多く訪れる名所となっています。たとえば、立石寺(山形市)では『閑さや岩にしみ入る蝉の声』の句碑が現在も残されており、文化と自然の融合が観光資源として活用されています。
また、2023年度には「芭蕉が訪れていない旧国名」を問う設問が登場しました。これは、芭蕉の旅の地理的理解を通じて、地域文化への洞察を測る意図が明らかです。芭蕉の知識は、文学史の範囲を超えて、地域理解・観光ガイドの実務力の証明となるのです。

(3)2025年度受験者へのアドバイス
松尾芭蕉に関して、以下の三点を意識して学習することが望まれます。
  • 『おくのほそ道』の訪問地と旧国名の対応関係を正確に整理すること。訪れていない場所を選ばせる設問が出題される可能性は今後も続くと考えられます。
  • 芭蕉の代表句と詠まれた地(例:山形・象潟・那須・平泉)をセットで理解すること。句碑の有無やその文化的背景にも着目しましょう。
  • 俳諧の背後にある修験道・禅・神仏習合など、日本独特の信仰・精神文化を踏まえて、観光案内に活かせる知識として習得すること。
松尾芭蕉は、単なる文学史上の人物ではなく、現代の日本文化と観光をつなぐ「生きた知識」の象徴です。2025年度の受験にあたっては、彼の旅と句に込められた精神を理解し、それを言葉で伝える力を養うことが、通訳案内士としての資質を高める第一歩となるでしょう。

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松尾芭蕉の代表句とその背景
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(歴史・文化・観光を結ぶ“詩の道” )
日本歴史において、松尾芭蕉の出題頻度は非常に高く、近年は『おくのほそ道』の旅程とともに、彼が詠んだ名句とその舞台が出題されています。単なる文学知識としてではなく、芭蕉の句がどの土地で、どのような情景・文化・歴史と結びついているかを理解することが重要です。
ここでは、特に試験対策として押さえておくべき代表句7選とその背景を、文化資源・観光資源としての視点からご紹介いたします。

(1)閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
詠まれた地:立石寺(山形県)
立石寺(山寺)で詠まれた句。自然と一体化した静寂の中、蝉の声が岩肌に沁み込むように響く様子が描かれています。宗教的精神性と自然美の融合を象徴する名句であり、2018年度試験に実際に出題されました。

(2)夏草や 兵どもが 夢の跡
詠まれた地:平泉(岩手県)
奥州藤原氏のかつての栄華の地・平泉を訪れた芭蕉が、草むらに覆われた戦跡を見て無常観を詠んだ一句。中尊寺金色堂と並んで、歴史遺産と文学の結節点として極めて重要です。

(3)五月雨を 集めて早し 最上川
詠まれた地:最上川(山形県)
梅雨時の豪雨を集めて一気に流れる最上川の力強さを詠む句。地理的特徴とも密接に関連し、水運や自然環境への理解も問われます。

(4) 荒海や 佐渡によこたふ 天の川
詠まれた地:越後路(新潟県)
日本海の荒波と佐渡島、その上空を横切る天の川。雄大な自然と幻想的な夜空を、見事に一句に収めています。佐渡の位置や風土を理解することも重要です。

(5)行く春や 鳥啼き魚の 目は泪
詠まれた地:深川(東京都)
『おくのほそ道』の出発点で詠まれた旅立ちの句。春の終わりと別れの情景を鳥や魚に重ね、芭蕉の旅に込められた哀愁と決意を象徴します。出発の精神的風景を理解しましょう。

(6)石山の 石より白し 秋の風
詠まれた地:石山寺(滋賀県)
石山寺の白い岩と、そこに吹く清らかな秋の風。自然と仏教文化が交差する場での句であり、寺社の建築や伝統との関係も踏まえておくと良いでしょう。

(7)名月や 池をめぐりて 夜もすがら
詠まれた地:膳所(滋賀県)
秋の名月を一晩中見ながら池のまわりを歩いたという風情豊かな句。観月文化・風流・湖畔の情景を通して、芭蕉の旅の余情が表現されています。

以上

「足利義満」が「日本歴史」に6回出題される理由

2025年05月11日 02時57分31秒 | ●2025年度<第1次筆記試験>対策
「足利義満」が「日本歴史」に6回出題される理由
(2025年度受験者への指針)

「日本歴史」において、「足利義満」は、過去に6回出題されている「重要人物」ですが、直近では、2023年度【大問8】、2024年度【大問1】に2年連続して出題され大いに注目を集めています。
過去の出題実績:(2015)(2016)(2018)(2020)(2023)(2024)
2025年度「日本歴史の傾向と対策」19ぺージ)

●2024年度問題【大問1】
1994年、世界文化遺産「古都京都の文化財」の一つに登録された金閣寺(鹿苑寺)は、京都市内の北西部にある臨済宗の寺院であり、ここから南西方向に
「きぬかけの路」という観光道路が整備されている。
この「きぬかけの路」周辺にある寺社・名所に関して、以下の聞いに答えなさい。

(間1)金閣寺(鹿苑寺)は、14 世紀の末に、西園寺家の山荘を譲り受けた足利義満が整備した別邸の「北山殿」が、義満の死後に寺院となったものである。この足利義満に関する①~④の記述の中で正しいものを一つ選びなさい。
①足利尊氏の子で、室町幕府の第三代将軍となった。
②1391年、それまで分裂していた南北朝の合ーを果たした。
③「明徳の乱」などを通じて有力大名の勢力を削減し、室町幕府の最盛期を作り出した。(正解)
④ 1401年、中国の明と国交を回復し「日本国王」として冊封を受け、朱印船貿易を進めた。

●2023年度問題【大問8】
室町幕府の3代将軍足利義満は、1401年に明に使者を派遣して同国との国交を聞いた。1404年からは、明に朝貢するという形の日明貿易が開始された。
その貿易は、勘合を持つ船だけしか( a )の港に入ることができなかった。日明貿易は4 代将軍足利義持の時に一時中断したが、6代将軍( b )の時に再開して16 世紀半ばまで続いた。

(間1)空欄 a と b に入る言葉として正しいものを、次の①~④から選びなさい。
①a富山浦 b足利義昭
②a坊津 b足利義詮
③a寧波 b足利義教(正解)
④a揚州 b足利義尚

(問2)日明貿易における日本の輸入品として正しいものを、次の①~④から選びなさい。
①硫黄 
②生糸正解) ③扇子 ④万剣

●2020年度問題【大問1】(16)
室町時代の文化に関する、以下の問いに答えなさい。

(問1) 北山文化に関連する次の①~④の記述の中で正しいものを一つ選びなさい。
①3代将軍足利義政が京都の北山に山荘を建てたことから、北山文化と呼ばれる。
②金閣の建築様式は、平安時代以来の寝殿造と禅宗寺院の禅宗様とを折衷したものである。(正解)

③南宋にならった五山・十刹の制がほぼ完成し、東大寺など禅宗寺院が栄えた。
④観阿弥・世阿弥が足利義満の保護を受け、芸術性の高い狂言を完成させた。

●2018年度問題【大問18】(問2)
室町時代の文化に関する次の記述のうち正しいものはどれか、次の①~④から一つ選びなさい。

①足利尊氏が京都に創建した禅寺の天龍寺は、嵐山唯一のユネスコの世界遺産(文化遺産)で、夢窓疎石が作庭した曹源池庭園は高度な遠近法を使い、油土塀に固まれた枯山水庭園の代表作である。

②鹿苑寺金閣は、伝統的な寝殿造と禅宗様を折衷した建築様式をとり、第二次世界大戦時に焼失し、現在の金閣は再建されたもので、ユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録されていない。

③歌舞・演劇の形をとる能が北山文化を代表する芸能として発達し、観世座に出た観阿弥・世阿弥父子が足利義満の保護を受け、猿楽能を完成させた。(正解)
④慈照寺銀閣は、幽玄・詫びの精神的な美を基調とした数寄屋造の建築様式をとり、創建当時の建物はユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録されている。

●2016年度問題【大問2】(7)
下記の説明の中で、下線部a~fのうち、誤っているものはどれか。次の①~⑥から選びなさい。

(a足利義詮)の子で、室町幕府第三代将軍足利義満は、1392年(b南北朝の合ー)を果たし、1401年中国の明と国交を回復し(c「日本国王」)として冊封を受け、(d朱印船貿易)を開いて室町幕府の最盛期を現出した。(e能楽の保護)や金閣寺の建立などに見られるこの時代の文化を(f北山文化)という。
①a  ②b  ③c  ④d(正解) ⑤e  ⑥f

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足利義満の重要性と頻出の理由
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全国通訳案内士試験〈日本歴史〉において、室町幕府の第三代将軍・足利義満は、長年にわたり繰り返し出題されてきた重要人物である。
とりわけ、2023年度【大問8】と2024年度【大問1】において、二年連続の出題という近年稀に見る注目を集めた。過去の出題年は2015・2016・2018・2020・2023・2024年に及び、頻出の筆頭格と言っても過言ではない。なぜ、足利義満がこれほど重視されるのか。その理由を分析し、2025年度受験者への具体的な学習指針を示したい。

(1)足利義満の多面的な歴史的意義
足利義満は、政治・外交・文化という三領域において、歴史上特筆すべき業績を残している。
まず、1392年には南北朝の統一を実現し、分裂していた皇統を一つにまとめたことで、室町幕府の支配体制を大きく前進させた。これにより、幕府は形式的ながらも全国統一政権としての権威を確立するに至る。
次に、外交面においては、1401年に明に使節を派遣し、朝貢形式による日明貿易(勘合貿易)を開始。義満は「日本国王」として冊封を受け、国際的な秩序の中で日本の地位を築いた。これは、近世以前における日本の対外政策の画期であり、現代の外交史理解においても欠かすことのできない転換点である。
さらに文化面においても、義満は北山文化の創始者として、金閣寺(鹿苑寺)や相国寺などの建立に関与し、禅宗文化・水墨画・能楽などの発展を支えた。このように、義満は単なる将軍の一人ではなく、時代を象徴する文化的支柱でもあったのである。

(2)観光資源との深い関連性
全国通訳案内士試験が他の資格試験と一線を画すのは、「通訳案内の実務」に結びつく形での歴史理解を重視している点にある。
たとえば、2024年度試験では、世界文化遺産「古都京都の文化財」に含まれる金閣寺に関して、位置関係や創建の背景が問われた。ここで義満が再登場したのは、単なる歴史事項としての出題ではなく、「現在の観光資源の歴史的文脈を理解しているか」が問われたのである。
金閣寺は、外国人観光客にも非常に人気のある観光名所であり、ガイドとしての説明力が試される場面も多い。よって、こうした文化財に関わる歴史上の人物に関しては、その背景や意義を深く理解しておく必要がある。

(3)2025年度受験者へのアドバイス
足利義満に関して、以下の三点を意識して学習を進めることが肝要である。
  1. 室町幕府の基礎体制整備と南北朝統一までの流れを体系的に把握すること。義満の登場前後の文脈を理解することで、問われ方の変化にも対応しやすくなる。
  2. 金閣寺・北山文化を中心に、文化的遺産と現代の観光資源との接点を意識すること。建築様式や禅文化、美術との関係を踏まえて、観光地としての説明ができるようにしておく。
  3. 外交史の観点から、日明貿易・冊封体制・勘合の意義を正確に理解しておくこと。地名(寧波)や関連人物(義持・義教)との関係も整理しておくと良い。
足利義満は、単なる過去の歴史人物にとどまらず、現代日本の観光文化と深く結びつく「生きた歴史」である。ゆえに、彼を深く理解することは、単なる試験対策にとどまらず、通訳案内士としての本質的な力量を高めることであろう。2025年度の受験者におかれては、この観点を胸に刻み、より実務に即した歴史学習を進めていただきたい。

以上