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角川短歌『現代秀歌選集』入選歌…史をよみ文ならなくのことどもを涙とともにゆるし居りぬる 

聖徳太子の神力

2017年12月04日 01時13分33秒 | Weblog

聖徳太子は推古天皇の摂政でした。天皇になろうと思えばなることができたでしょう。聖徳太子は隋に遣隋使を遣わしました。隋の皇帝は煬帝でした。「日の出ずる国より、日の没する国へ遣いを送ります。つつがなきや……」これに煬帝は激怒したようです。また、聖徳太子に、『法華義疏』という著書があります。これは岩波文庫にあります。読んでみると、聖徳太子によって法華経がずいぶんと研究されています。そして自分の独自の解釈がたくさんあります。法華経自体、ずいぶんと読みにくくて、7冊ほど線を引きながら読んで、やっとすらすらと読めるようになりました。そもそもこの法華経はインド南東部の港湾都市で生まれました。それで通常のお経とは趣きが異なります。内容は物語のようです。はじめはなじめないのですが、読んでいるとずいぶんと爽快です。道元禅師も晩年にはこれを読んでいました。遷化されたとき、法華経が開かれていたそうです。……日蓮が『南無妙法蓮華経』に集約しました。日蓮もドストエフスキーと同じように、龍ノ口で斬首されかけました。その時、落雷して刀が折れました。それで無罪となりました。人生とは不思議なことがあるのですね。さて、聖徳太子は神としての四天王を使ってまつりごとをしていました。いわゆる神力です。それは申し述べる力である、とどこかで教えてもらいました。聖徳太子はまさに神力を持っていたのだったでしょう。こうした力が古来、日本に宿っているのです。明治以降、失われていたのはそれだったのではなかったでしょうか。私にはそう思われます。世界平和のために、日本に何か使命があるとする所以です。

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2 コメント

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Unknown (unknown)
2017-12-05 16:12:19
日出処の天子~で始まる親書の記述があるのは隋書タイ国伝のみであり、日本書紀にはこのような記述はありません。隋書には聖徳太子をはじめ、推古天皇や蘇我馬子ら名前は一切出てこないです。また、倭人の風習や地理情報にも矛盾が見られます。逆に日本書紀には遣隋使の記述は無く、遣唐使と言うべき記述がされています。あの対等外交を謳った内容にはなってないんですよ。これまで通説で説かれていた内容は見直しが必要だと思います。
ありがとうございます (後藤静雄)
2017-12-05 20:25:18
ご指摘、ありがとうございます。最近、日本史がどんどん見直されていますね。小生の不勉強が露呈しました。申し訳なく思います。いずれにしてもおだやかにご指摘くださり、感謝します。

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