吉向焼(きっこうやき)窯跡
江戸時代、吉向治兵衛(通称、亀次)は伊予国(愛媛県大洲)の生まれで、父は陶工であった。11代将軍 家斉公の太政大臣就任の祝いに、鶴と亀の食籠(じきろう)を献上した。始めは亀次名にちなんで亀田焼と称していたが、この食籠(じきろう)が時の将軍に気に入られ、「亀甲」、すなわち「吉に向う」にちなんで「吉向」の号を賜った。その後、方々の大名に迎えられ、御用窯、いわゆるお庭焼を申しつかった。幕末の須坂藩(大名名:堀直格公)も財政再建のねらいもあり須坂に招き殖産興業として根付かせようとした。須坂藩という一万石ほどの小藩だがすばらしい文化の香りのする吉向焼の窯跡を散策。
食籠(じきろう)
食物をいれる蓋付きの身の深い容器。多くは円形または角形、茶席でおもに主菓子を盛り込む菓子器として用いられる。素材も最初は、漆器であったが、陶磁器も用いられるようになった。
江戸時代、吉向治兵衛(通称、亀次)は伊予国(愛媛県大洲)の生まれで、父は陶工であった。11代将軍 家斉公の太政大臣就任の祝いに、鶴と亀の食籠(じきろう)を献上した。始めは亀次名にちなんで亀田焼と称していたが、この食籠(じきろう)が時の将軍に気に入られ、「亀甲」、すなわち「吉に向う」にちなんで「吉向」の号を賜った。その後、方々の大名に迎えられ、御用窯、いわゆるお庭焼を申しつかった。幕末の須坂藩(大名名:堀直格公)も財政再建のねらいもあり須坂に招き殖産興業として根付かせようとした。須坂藩という一万石ほどの小藩だがすばらしい文化の香りのする吉向焼の窯跡を散策。
食籠(じきろう)
食物をいれる蓋付きの身の深い容器。多くは円形または角形、茶席でおもに主菓子を盛り込む菓子器として用いられる。素材も最初は、漆器であったが、陶磁器も用いられるようになった。
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