さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

戦国時代の城郭跡巡り「立ノ越館」

2021-03-08 13:54:43 | 地域

「立ノ越館」
所在:阿見町阿見字真木後 
立ノ越古墳群の舌状台地の付け根に構築、土岐氏(江戸崎城)の 西側の境目の砦で、規模は大きくないので大室城の出城的な役目をしたと思われる。近世に西光寺が建てられ遺構は壊された。周囲は谷津田がめぐる要害、東側の霞湖は釣り堀になっている。

□土岐氏
土岐氏は、江戸崎を拠点にして、稲敷地方一帯を約200年に亘り統治した戦国大名。
美濃(岐阜県)出身の武士・土岐原氏、嘉永1年(1387)室町幕府の重職である関東管領上杉氏の求めにより、信太莊惣政所=直接土地に根付いて統治する職務者として赴任。(土岐原氏は、1543年、姓を土岐氏に変えた。)
戦国末期は、北進をねらう北条方につき、秀吉方の南進をねらう佐竹氏と対立、1590年、小田原の陣で、秀吉が北条を倒したのを期を一にして、土岐氏も滅び、土岐氏の各出城の役目は終わった。

□戦国時代の城郭
中世戦国期に作られた城跡は、茨城県内で1100以上見つかっている。阿見町(信太莊)にも、大室城を始め8箇所あり、戦国末期には、土岐氏(江戸崎城)の配下にあった。舌状台地を利用した城(砦)は、平山城といわれ、台地の先端部に本丸、中腹に二の丸、三の丸を配し、周りはV字型の薬研堀を掘り、掘った土で土塁を作り周囲を固めた。
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