さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

遠野ユースホステル

2010-09-26 17:49:35 | 閑話休題
東北の温泉旅行の2泊目は岩手県遠野市、「民話のふるさと遠野」。
遠野YH
〒028-0555岩手県遠野市土淵町土淵13-39-5
TEL:0198-62-8736 ペアレント 紺川 滋
宿泊費(会員) 3300円 食事 朝食550円
遠野城下町資料館
遠野南部氏1万2千石の城下町,
遠野。内陸と沿岸を結ぶ交易の場としても栄え、沢山の物資や商人が集まりまった。この資料館には、遠野南部家が使用した刀や兜、着物やかんざしなど調度品の数々、商家に残された生活用具など、江戸城下町の暮らしぶりが分かる展示品が保管されている。
とおの昔話村
とおの昔話村では毎日、語り部のおばさんから昔話を聞くことができる。「むがす あったずもな」で始まり「どんどはれ」で終わる遠野の昔話「オシラサマ」や「カッパ」「ザシキワラシ」など、やわらかな方言で語られる昔話を聞きました。
南部曲り家
遠野地方の古民家は「南部曲り家」と呼ばれるものがほとんど。「曲り家」とはL字型になっており、人が住む母屋と馬小屋がつながっている住居で、馬はかけがえのない人間の友であり、同じ屋根の下で暮らしていました。
曲り家は昔の生活が垣間見れる、懐かしい空気、時間を肌で感じ取れる場所です。
 ●南部曲り家 千葉家
現在でも住居と使っているが、見学もできる。周囲の自然地形を利用して設計された民家で、石垣を組み悠然としたたたずまい。南部藩特有のもので、約200年ほど前に建築された。平成19年に国の文化財に指定。
 ●遠野ふるさと村
遠野の農村生活を体験し自然と文化を遊んで学べる施設。ここには、曲り家が数棟あり、田んぼや畑や森などがあり、のんびりと散策したりボーっとしたりと昔の遠野の農村を体験し癒される空間。村内には「まぶりっと」と呼ばれる守人達がおり、曲り家の手入れや体験指導などをしている。
カッパ淵
常堅寺裏を流れる小川の淵にはカッパが多く住んでいて、人々を驚かし、いたずらをしたといわれています。澄んだ水がさらさらと流れるカッパ淵は、うっそうとした茂みに覆われ、今にもカッパが現れそう。淵の岸辺には、カッパ神を祀った小さな祠があり、子持ちの女性がお乳が出るようにと願ををかけるとかなうといわれている。
続き石
鳥居をくぐり、山の小道を15分ほど登ると、小高いところに鳥居状の巨石に出会います。2つ並んだ石の上の、左側の方のみに幅7M、奥行き5M、厚さ2Mほどの巨石が乗っている。「遠野物語」の第91話に出てくる奇石で、古代人の墓とも、武蔵坊弁慶が持ち上げて作ったともいわれている。
五百羅漢
約200年余り前に東北地方を襲ったたび重なる大飢餓は、遠野の人々にも相当な被害をもたらした。大慈寺の義山和尚が、多くの犠牲者を供養するために、自然の花崗岩に五百体の羅漢像彫ったといいます。
山口の水車
かつて農産物の脱穀や製粉に、地域共同の水車が使われていた。機械化により今はほとんど使われなくなったが、牧歌的な遠野の風景のシンボルの1つとして大切に保存されている。
山崎コンセイサマ
コンセイサマとは、この地方の家族ごとに祀られた神様で、最も市民に親しまれ、子宝や腰痛治療、豊作をつかさどる神様。男性器を形どったユニークな形をしている。山崎のコンセイサマは、自然石で作られた高さ1.5mの巨大なもの。昔からその存在が語り継がれてはいたものの長い間現物がなく、最近になって砂防工事現場の土砂の中から発見され、改めて祀られている。婦人の腰の病気に効くといい伝えられ、タワシで磨くと快癒するらしい。コンセイ祭りが5月5日に開催される。
遠野市立博物館
2010年4月24日にリニューアルオープン。『遠野物語』の著者柳田國男が遠野を旅したときの印象を体感できるゾーンでは、シアタースクリーンで遠野の風景や民話のアニメが上映されている。また遠野の「山」「里」「町」の暮らしや文化を紹介するゾーンでは実物資料やジオラマ展示、映像、音声などで遠野独自の文化を紹介。
でんでら野
「昔、60歳になって捨てられた老人たちは、日中は里に下りて農作業を手伝い、夕方わずかな食料を得て野の小屋に帰り、寄り添うように暮らしながら、命の果てるのを静かに待ったと伝えられている。かつての山村の悲しい習い。」と案内の説明表示板に書かれていた。夕方、田畑の仕事を終える時に、「もう終わりにしよう」というのを、方言で「墓上がりにすべえ」と言っていたとのこと。昔は姥捨てという悲しい風習が各地にあり、遠野のこの地域では、日中には里に出て村の人たちと一緒に農作業をしていた・・・。
でも、果たして昔の方が老人は不幸せだったのだろうか、今の老人は幸せなのだろうか・・・
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遠野物語

2010-09-26 16:40:22 | 閑話休題
遠野物語
 遠野YHにて、夕食後、談話室にて、有名な語り部、正部家ミヤさんの昔話、「むかし、あったずもな。」で語り出し、「どんとはれ」で終わる遠野の方言丸出しの遠野物語を聞きました。

□正部家ミヤ プロフィール
幼い頃、父親のひざに抱かれて聞いた話の中で、すらりと出てくる話は200話以上もあるという。亡くなった姉「鈴木サツ」とともに全国的に活躍し、平成9年に天皇皇后陛下にお聞かせできたのが生涯の思い出です」と話す。正部家ミヤ昔話集「遠野むかしばなし」。大正12生まれ(88歳)。

□オシラサマの由来となった馬の話(柳田国男著「遠野物語」69話)

昔ある処に貧しき百姓あり。妻は無くて美しき娘あり。又一匹の馬を養ふ。
娘此馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、終に馬と夫婦に成れり。
或夜父は此事を知りて其次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。
その夜娘は馬の居らぬより父に尋ねて此事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋りて泣き居たりしを、父は之を悪(にく)みて斧を以て後より馬の首を切り落せしに、忽ち娘は其首に乗りたるまゝ天に昇り去れり。
オシラサマと云ふは此時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にて其神の像を作る。
其像三つありき。本にて作りしは山口の大同にあり。之を姉神とす。中にて作りしは山崎の在家権十郎と云ふ人の家に在り。佐々木氏の伯母が縁付きたる家なるが、今は家絶えて神の行方を知らず。末にて作りし妹神の像は今附馬牛村に在りと云へり。

□農商務省の役人柳田国男(1875- 1962)は1908年、33歳の年、岩手県遠野に訪れ、地元の大学生・佐々木喜善(1886-1933)から、遠野地方に伝わるさまざまな不思議な話を聞き、深く心惹かれた。それが柳田民俗学の『遠野物語』(1910)となった。本は、遠野の地勢にはじまり、神々の由来、天狗や河童、ザシキワラシ、魂の行方、神隠しや歌謡など、遠野に伝わる不思議な話が119話にまとめられている。

こののち柳田は日本民俗学の創始者、佐々木は後に「日本のグリム」と呼ばれる昔話研究の先駆者への道を歩むことになった。

今年は、柳田国男著「遠野物語」の発刊から100年。100周年を記念して遠野は多くのイベントを企画している。
遠野に住む多くの神々のうちでも、特にザシキワラシが有名。

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