さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

山本勘助の墓

2007-04-06 12:45:22 | 閑話休題
山本勘助(道鬼)の墓
山本勘助は三河の国(愛知県豊川市)の出身で初めは今川義元に仕えたが、のちに武田信玄の家臣となった。諸国を流浪して各国の事情に精通し、さらに天文、兵法、槍術など武芸百般を体得した信玄の参謀で、諸国の情報を素早く入手し、数々の策略を立てたといわれている。また、信玄が上杉謙信の攻撃に備えて築いた松代城の構築も手がけた。
永禄4(1561)年9月の川中島の合戦では、必勝を信じて「きつつきの戦法」を信玄に勧めたが、それを上杉謙信に見破られたために武田軍は苦戦に陥った。勘助はその責任を感じ、敵陣へ飛び込み奮戦、力尽きて討死した。(看板資料より)
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