さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

米子大瀑布

2006-05-14 20:33:19 | 閑話休題
須坂市教育委員会主催「さわやかトレッキング(山歩き)教室」の第一回目は「米子奥の院」、新緑の美しさに感動。
標高1500mの所にわずかに平地があり、ここに小学校(Elementary School)の分校があったとは驚き

米子大瀑布のデータ
□日本の滝百選
   須坂より車で40分。群馬県との県境にある百名山、四阿山(あずまやさん)と根子岳の北側の懸崖を、75mと85mの落差で直線的に落ちる2つの滝。
  権現滝(75m)が轟音とともに豪快に落ちる男性的なイメージに対し、不動滝(85m)は柔らかなシルクの布を扇状に広げて幾重にも落としたような霧状の滝。二つの滝は、「夫婦滝」言われている。男滝は「権現滝」で、水量が多く真っ直ぐな直瀑。女滝は「不動滝」で、水量が少なく霧状に流れる落ちる姿が女性的。最近では「恋人滝」とも言われている。不動滝は古くから修験者の「みそぎの場」、夏には滝に打たれる白衣の行者の姿も見られる。    
□紅葉の名所
  紅葉の時期は、10月後半。冬は氷結した滝が見られるが、雪が降ると道路は通行止め。
□旧米子鉱山の跡地
  米子大瀑布の絶好の展望台。
  寛保3年(1743年)から始まった硫黄の米子鉱山は、標高1500から1600メートル付近に位置し、昭和9年に中外鉱業株式会社が本格的な営業採掘を始めた。硫黄は火薬の材料にされ月産1200tを生産、鉱山関係者1500人が生活した。しかし戦後、需要が減少、昭和35年に閉山された。
□念仏行者「但唱(たんしょう)」
  但唱上人は瀑布対岸にある奇妙山山腹で、12年間こもって木食行(もくじきぎょう:石仏を刻みながら自然の草木を食べ修行をする)をした。但唱上人は硫黄 鉱山で働く人々にとっての救い主、この時代、米子村は活気に満ちていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする