goo blog サービス終了のお知らせ 

「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

13,姥雲隠れ ②

2025年04月13日 08時14分03秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・突然訪れた女二人は、
お茶飲み友達のセールスに来たごとくである

第一私は茶飲み友達という、
あいまいな言い方が気にくわぬ

お茶問屋のまわし者ではあるまいし、
いかにも卑猥なその言葉、
よくもれいれいしく看板をかかげ、
口にのぼせて発音することだ

口紅女は教えさとす如く、

「いえ、
これは古来からのいいまわしですからね」

なにを生意気な
私はせせら笑い、

「そんなにいうなら、
自分が登録すれば?」

「あたしはこう見えても、
主人がいます!」

「あたしはこう見えても、
独身主義者なんですよ!」

ケンカになってしまった

この頃の人間は、
相手の人格骨柄がどうの、
ということは考えないらしい

相手を見てモノをいう訓練が、
全く出来ていないとしか思えない

この私が男欲しそうに、
みえるのであろうか

実際、相手がいりゃいい、
というものではない

私がよく出会う、
ボケの妻を抱えた夫を見るがよい

半年ほど前から、
マンションの前の道を散歩する、
老夫婦がある

夫は七十四、五、
妻は七十を越したくらいであろうか

夫はやや背が高く、
しっかりした骨格の意志的な顔つきの老人

妻は小柄で着物を着ている

髪の毛が薄く、細く、
抜け毛の多そうな心細げな髪である

うしろで小さいまげを作っているが、
額はくっきりと富士額になっている

眉も太く黒々としている

妻は着物の裾も乱れがちで、
とっとっと歩く

しかしその顔はしまりなく、
目がどんよりして、
なぜかその目に暗い涙が浮いている

二人をそれまで見たことがなかったから、
どこかよその町から移ってきたのかも、
しれない

私が妻を、
ボケているのかしら?
と思ったのは、
あるとき歩きながら片方のサンダルが、
脱げたのも気付かず、
そのまま歩いていったからである

このときは、
夫が急いで身をかがめて拾い、
妻にはかせてやった

おいおいに涼しくなったころ、
夫婦の散歩に行き会ったら、
妻は袂からハンケチやティッシュを出して、
まき散らしつつ歩いていた

夫が引き返して、
拾い集めていたので、
私もハンケチを拾ってあげたら、

「や、どうも」

と夫はしっかりした声で、
礼をいって、
これはまともな人のようであった

何度も行き会うようになったので、
私もちょっと会釈して、

「しのぎやすくなりましたね」

といった

するとそこへ、
妻がひどい勢いで戻ってきて、
私に何か叫んだ

その顔は目が吊り上り、
口元がゆがんでいて、
ひどい憎しみの表情である

私はあっけにとられたが、
彼女の額のみごとな富士額と、
黒々とした眉が眉墨でくっきりと、
描かれてあるらしいのを見ると、
もうたまらない、
おかしくてふき出してしまった

すると妻はいっそうたけり狂い、
再び同じことを叫んだ

それは、

「あほバカまぬけ!
ひょっとこなんきんかぼちゃ!」

と叫んでいるのである

大阪の下町で子供が声を合わせる、
はやし言葉だった

この人、
少しボケはじめて、
子供のころの悪態語があたまに、
残っていてつい口に出たのかしら、
と思った

それにしてもなんで、
ああも憎々しげに私を見たのか

そればかりではなく、
ハンケチを私に投げつけようとする

「おい、やめなさい・・・
すみません、どうも」

と夫のほうはあわてて、
妻をたしなめ私に謝った

すると妻は、

「あ~んあ~ん」

と泣くので、
美しい富士額の一角が崩れてきた

それもおかしなもので、
私もいつ自分の身にふりかかるか、
分からない運命であるのに、

(ボケにだけはなりとうない)

とつくづく思った

夫は動じないで、

「よしよし」

といいつつ、
肩を抱いて去って行く

私にはあの夫の姿が、
いかにも気の毒に思われた

「あ~んあ~ん」と泣いて、
珍妙な手描き富士額から、
黒い汁を垂らしていた妻を思うと、
悪いことではあるが、
ついおかしくなってしまう

いつごろから妻がボケはじめたか、
分からぬが、
あの夫はそういう妻にじっと堪え、
看護し続けてきたに違いない

夫の顔に忍耐強い、
意志的な表情が浮かんでいるのは、
そのためであろう

(反対でも同じことや)

と私は思った

妻がボケた夫の介抱に手を焼き、
共倒れになる、
そうしてついには二人ともボケ、
特別養護老人ホームへ送られる

そんな話はよく聞くところである

秋が深まって、
市民会館でのお習字教室を終えると、
もう五時近くでも暗くなっている

私がマンションへ帰ると、
木枯らしの中をその夫婦が、
せっせと歩いている

妻はかなりボケが進んだらしく、
足取りはいっそうヨタヨタとおぼつかない

しかし思いつめられたように歩く
それを夫はおくれぬよう、
歩を早めてついてゆく

(なぜこんな、
寒い日暮れに散歩に連れ出すのだろう
こんなボケた人は人目にふれさせず、
家の中で寝させておけばいいのに)

と私は思った

もし私がボケたら、
人目も夜昼かまわず、
外へ出たがるかもしれないが

二人は歩き疲れて、
植え込みのそばのベンチに坐る

そこはマンションの生垣の前で、
日の暖かい日中は、
若いお母さんのたまり場になっている

それぞれ赤ん坊を抱いて、
おしゃべりに余念がないベンチであるが、
冬の日暮れはむろん誰もいない

木のベンチは冷えきっている

そこへ老夫婦は疲れ果てたように、
腰を下ろす






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 13、姥雲隠れ ① | トップ | 13,姥雲隠れ ③ »
最新の画像もっと見る

「姥ざかり」田辺聖子作」カテゴリの最新記事