
・右近は源氏の私邸、六条院へ出仕した。
源氏にこのたびのめぐり合いを、
そっと耳に入れたいと思って、
急いだ。
門に車を乗り入れると、
六条院のさまは外の世界とかけ離れていた。
広々とした中庭、
うち続く見事な建物、
その中を人々は行き交って、
混雑している。
権門の家の華やかな活気がみちて、
右近はまばゆい気がする。
その夜は御前にも出ず、
自分の部屋で右近は物思いしながら、
休んでいた。
翌日になって、
紫の上から、
「右近が帰っているの?
顔をお見せなさい」
とお召しがきた。
昨夜、里下りから戻った女房は、
たくさんいたのに、
特に右近を選んで召されたので、
右近は面目に思った。
参上すると源氏もいた。
「右近、
なぜそんなに長く里下りしていた。
ひとり者がおかしいではないか。
何か面白いことがあったのだろう?」
と、いつものように、
こちらを困らせる冗談をいう。
「七日のお休みを頂いたのでございますが、
私などに、
なんの面白いことがございましょう。
でも、初瀬の山で、
思いがけぬ方にお会いいたしました」
「誰だね、それは」
源氏は尋ねたが、
右近は口をつぐんだ。
ここで姫君の話をするのは不用意であった。
紫の上はそのいきさつを知らぬはずである。
姫君のことをいうとなれば、
その昔の、
源氏と夕顔の恋から始めなければならぬ。
(源氏の大臣のお耳に、
そっと申し上げるにしても、
あとで紫の上がお聞きになれば、
私が隠し隔てをしたと、
お思いになるかもしれない)
慎重で考え深い右近は、
そんな懸念をして、
「そのうちに申し上げます」
といってるうちに、
他の女房たちが参上したので、
そのままになった。
灯が入った。
源氏と紫の上が並んでいるさまは、
みとれるばかりだった。
紫の上は二十七、八の女盛りの美しさ。
かの姫君を、
ほんとうにめでたいご器量と思ったが、
やはり、紫の上の方が格別にすぐれていらっしゃる。
(紫の上のお美しさは、
源氏の大臣のゆたかなご愛情で、
花開かれたに違いない)
と右近は思ったりする。
源氏は今は太政大臣だが、
公務も多忙というわけではないので、
気楽な日常である。
冗談も気軽にいい、
人々の応酬や反応を源氏は楽しむ。
そういう中年男の源氏にとって、
手応えがあって面白いのは、
やはり若い女より、
右近のような中年女である。
「さっきの話だが、
会ったというのは誰だね?
尊い坊さんでも口説いて、
駆け落ちしたのかね?」
などと源氏は冗談をいう。
「まあ、人聞きの悪いことを仰せられます。
まじめな話でございます。
あの・・・
はかなく世を去られた夕顔の君の忘れ形見の方に、
めぐりあったのでございます」
源氏は驚いて、
「どこにいたのだ」
と聞いた。
右近はあまり率直にいうのも、
人の耳もあることではあり、
姫君のためにも、
と考えて、
「都はなれた、
さびしい山里にお住みでございました。
昔の人たちも変らずお側に仕えておりました。
あの頃の思い出話をして、
悲しゅうございました」
などと話した。
「よし、わかった。
この話はそこまでだ。
事情をご存じない方もいらっしゃるからね」
隠すように源氏がいうと、
紫の上は、
「わたくしのことならご遠慮なく」
と袖で耳をおおった。
「どんな方だった?
昔の夕顔に劣らぬくらいかな」
源氏は聞かずにいられない。
「この上なくお美しくて、
亡き御方よりもすぐれていらっしゃいました」
源氏は後で右近一人を呼んで、
くわしく話を聞いた。
そして、
「姫君をここへ移そう」
といった。
「やっと見つかったのが、
何とも嬉しい。
居所がわかった上は早く会いたい。
父君の内大臣に知らせる必要はない。
大勢の子たちがいてにぎやかにしていられる中へ、
今から入るのは、
気苦労も多いだろう。
それより私のもとへ引き取られる方が、
ずっと姫君は幸福だ。
私はこのように子供が少なくて淋しいから、
思いもかけぬ所から娘を探し出した、
というように世間にはいいつくろおう。
大切に育ててみたい」
などと話し、
右近は姫君のために嬉しく、
「殿のお計らいにお任せいたします。
内大臣さまにお知らせ申すにしても、
殿のほかのどなたかが、
お耳に入れて下さいましょう。
はかなくみまかられた亡き御方の代りに、
姫君をお幸せにしてあげて下さいまし」
源氏は姫君に、
手紙を出したいと思った。
源氏は夕顔の娘について、
期待と不安が半々だった。
夕顔に似ていれば美人だろうが、
筑紫のような田舎で育って、
無教養で風情のない田舎娘になってはいないか、
との恐れもあった。
あの末摘花のこともあるから。
あの姫君の、
高貴な身分と由緒ありげな荒廃した邸の、
趣に心そそられて、
わがものにしてみたものの、
よく知ってみれば、
姫君は情緒に乏しく、
がっかりさせられた、
苦い経験がある。
手紙の返事を見て、
どの程度の人となりか、
まず知りたいと源氏は思うのだった。
右近がそれを持って、
姫君の宿へ行き、
自分も口を添えて、
源氏の意向を伝えた。



(次回へ)