
・真っ先に電話してきたのは、
箕面にいる三男の嫁である
「お姑さん、
被害はありませんでした?」
私はマンションの窓から、
東神戸の海を眺めつつ、
朝食をとっていたところ
夏になると、
海も空もぼうとして薄紫に霞み、
水平線はぼかされてしまう
今朝はことに行き交う船が多い
ぎらぎら光る水面に白い航路が二つ三つ
そういういい気分でいたときに、
けたたましい電話
「被害って、
ゆうべ地震でもありましたっけ?」
と私はいう
「地震じゃありません、
戸板商事の件ですわ、
今朝の新聞にでかでかと
戸板商事に引っかかった、
おトシヨリがいっぱい、
いると出てますでしょ!」
何をいまさら、
びっくりしているのだ
戸板商事のことは、
もうずいぶん前から新聞や週刊誌に、
載っており別に昨日今日の事件ではない
嫁などは新聞を見ても、
テレビ欄とせいぜい家庭面が、
せいいっぱいであろうから、
こと新しく驚くのだ
「パパがもしかして、
お姑さんも被害にあわれたんじゃないかって、
心配するもんですからね、
どうなんですかっ、お姑さん!」
嫁は昂奮のあまり、
息切れしているようである
「大丈夫と思いますけど、
しっかりしていらっしゃるようでも、
お姑さんもおトシヨリですからね、
根は甘いんじゃないか、と
いえ、これはパパがいうんですけど、
根甘につけこまれて、
いらっしゃるんじゃないかと、
急に心配になって、
夕べパパもあたしも眠れなくて・・・
朝いちばんに電話してみろと、
パパがいうもんですから
何たって戸板商事は、
独り暮らしのおトシヨリをねらい落すのが、
巧かったそうじゃありませんか」
私はだんだん、
腹が煮えくりかえってくる
トシヨリ、トシヨリ、とふたこと目に、
いうのが気に喰わぬ
こう見えても、
私ゃフツウの婆さんではない、
つもりだ
根甘とは何ぞや
私が根甘なら、
息子や嫁らは根欲であろう
彼らが夕べ、
心配で眠れなかったというのは、
私の財産が彼らに遺産として、
残された場合、
少しでも目減りしないように、
というおもんばかりからに違いない
戸板商事というのは、
強引な悪徳商法で金を集め、
倒産状態になっている、
悪評高い会社である
金取引きや、
ゴルフ会員権をすすめて、
うまい儲け口を示唆する
私のところへも、
女の声で電話が掛ったが、
私へ掛ってくる電話はたいてい、
「山本先生」
「歌子はんでっか」
「お母チャン」(これは息子らから)
「お姑さん」(嫁らである)
に決まっており、
「奥さま」とか、
「おばあちゃん」
などという電話はない
「奥さま」
なんていう電話はみな臭い
昔、船場の店に勤めていた、
古い女中衆のお政どんなどは、
今もなお「ご寮人さん」
と電話してくるけれども、
いやになめらかな声で、
「奥さま、
あの、失礼ですがお宅さまでは・・・」
などと掛ってきた電話に、
ロクなのがないことは経験上、
よくわかっているのだ
それより電話で金儲けを持ちかける、
というところが、
私には大胆不敵に思われる
金儲けというのは、
もちかけられるものではなく、
自分からもちかけるものである
待っていて入ってくる金儲けというのは、
西鶴の時代からないのだ
儲けようと思えば、
自分から働きかけないといけない
それゆえ私は、
そのたぐいの電話が掛ると、
(誰に掛けてる思てんのや)
と片腹いたく、
「いま忙しいんですよっ」
とすぐ切ってしまう
だからそのたぐいの電話から、
受ける被害はかいもくないのであるが
あんまり三男の嫁が、
息せききって聞いてくるのがおかしくて、
ちょっと黙っていたら、
「もしもし、もしもし、
お姑さん、どうなんですか、
戸板商事に引っかかったんですか、
引っかからなかったんですか!」
嫁は半分泣き声である
こういう声を聞くと、
私のイタズラ心があたまをもたげるから、
困ったもんである
「実はねえ、
須美子さん」
私は声をしめらせていう
「まあ、七十八になって、
私ゃ気をつけていたつもりやけど・・・」
「ひえっ!」
嫁は電話口で息をのんだあんばい
「やっぱり!」
「いえ、須美子さん、
それはね・・・」
「だからいわないこっちゃないんですよ!
あたしたち、大体お姑さんがそのトシで、
株だ債券だと大胆なことなさるの、
ハラハラしてたんですよ」
「いえ、株はあなた、
この頃はもう・・・」
「それでどのくらい、
お姑さん、
戸板に持っていかれたんですか!」
「すってんてんですよ」
嫁は一声絶叫して、
即、電話を切ってしまった
私は思わずこぼれる笑みを、
抑えようもない
どうもこの、
嫁をからかうという悪戯の楽しみを、
やめられないのが私のよろしくないところ
おかげで午前中、
電話騒ぎで過ぎてしまった
「戸板110番というのが、
あるんだそうですわね、
お姑さん?」
といってきたのは、
豊中にいる次男の嫁である
「被害者の相談に、
乗ってくれるそうですよ、
もう電話なさいました?」
私が戸板に引っかかったらしいという噂は、
息子らに及び、嫁らのあいだで、
電光のごとく知れわたり、
彼らはたちまち私の財産を、
病んでさぐりを入れてきたらしい
「もしまだでしたら、
あの、あたしが代わりに、
しましょうか、
金の証書ですか、
レジャー設備の投資ですか、
お姑さん、
そんなもの二足三文ですのよ、
そんなもの!」
次男の嫁も声が高ぶり、
そればかりか嫁は、
「何てことを・・・
まあ・・・」
しゃくりあげはじめた
「いえ、道子さん、
嘘ですよ、冗談
私ゃそれほどもうろくしてませんよ、
戸板商事なんて関係ないんですから、
心配しなさんな」
「いえ、お姑さん、
お隠しにならなくてよろしいですよ、
それならそれで弁護士頼んで、
早いこと手をうってもらいましょうよ
一刻も早いほうがいいですわ、
あたしパパの会社へすぐ、
電話しておきます」
「道子さん、これ・・・」
という間に嫁は、
錯乱状態で電話を切ってしまう
自分の財産でもないのに、
あの取り乱しようは、
何ということであろう

(次回へ)






