goo blog サービス終了のお知らせ 

「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

12,姥ひや酒 ⑥

2025年04月11日 08時07分53秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・シモを人に取られたくない、
という気は私にもあるものの、
何となく、
(人力の及ぶところにあらず)
という気がする

自然に任せるというのは、
ここのところをいうのだ

そんなお守りを身につけるよりは、
冷酒でも飲んでくつろぐほうがよい

地酒というのも、
思いのほか美味しいものがある

もっとも私は、
たくさん飲めるわけではないゆえ、
一合瓶でよかったのだが、
出てしまってないので、
やむを得ず二合瓶を買ったのである

ハンドバッグから出した袋に、
それを入れていると、

「歌子さん、
見えてましたのよ、
こっちこっち・・・」

魚谷さんが上気して呼びに来た

魚谷さんは今日は、
グレーの明るい色のワンピースで、
白いソックスなどをはいている

本堂の端、
いちばん風の通るところに、
なるほど魚谷さんがいう老紳士が、
坐っていた

水色の半そでポロシャツを着、
白髪を風になびかせている

顔は赤ら顔

「いやあ、八田です
山本歌子さんですか?
魚谷さんにいつもお噂聞いとります」

八田氏は私が想像していたより、
ずっと饒舌であった

まるでお酒に酔ったような顔、
この会では酒は出さないのだが、

「いやいや、
酒を飲んだのではありません」

八田氏は上機嫌である

「にんまり湯へ入ってきたんです」

「・・・」

「ちょっと早く来過ぎたものですから、
仏さまの前ではみな裸になろうという、
住持のお言葉に感動して、
入ってみました」

「・・・」

魚谷さんも私も言葉がない

寺に隣接するホームのお風呂も、
その日は解放される

にんまり湯というそうで、
男女混浴というはなしだという

「あんまり長いことつかってましたので、
少しのぼせて湯あたり気味
酒に酔ったみたいな気分で、
ハハハ・・・」

八田氏はあたりを見回し、

「この、にぎやかな開放気分、
これもよろしいなあ」

八田氏は魚谷さんの手を取り、
魚谷さんはびくっとしたが、
握られたままになっている

八田氏はもう一方の手で、
私と握手しようとしたが、
私は避けたので、
その手も魚谷さんに重ねた

「よろしいなあ
こういうところへくると、
気がのびのびします
いいところへ連れてきて頂きました」

何が、

(こういう雰囲気がいやで、
お嫌いになった・・・)だ

何が、

(インテリでいらっしゃるから)だ

何が(気高い方・・・)だ

気高いインテリだから、
阿弥陀さまの前で遊び興じる、
爺さん婆さんに(よろしなあ)と、
いえるのかもしれないが、
その言い方の好色そうなのには、
全く興ざめ、
にんまり湯へ入ってのぼせて、
湯あたりしてるなんて、
ほんと、そこらの色気爺さんと変りはしない

魚谷さんにはふさわしくない気がする

もともと、八田氏はそういう人なのを、
魚谷さんが勝手に解釈していただけ、
かもしれない

八田氏は八田氏で、
自然に生きているのである

しかし私は、
どことなく氏が気に食わない

魚谷さんはどう思うかわからないが、
私としては八田氏を魚谷さんに、
取り持つ気にはなれない

八田氏は魚谷さんのもとから、
一人私のもとへ来て、

「歌子さん、
いっしょににんまり湯へ入りましょう」

私の耳元で熱い息をふきかけつついう

「いやですよ、あたしゃ」

私は帰宅してすぐ、
冷やしておいた冷酒・老春を出してくる

今日は鯛の刺身三きればかりに、
鯛のあたまの潮汁
絹さやと卵、
などというお献立、
お酒はほどよく冷えて、
あっさりした辛口

白い磁器の盃の底に、
赤い字で「老春」と沈んでいるのが、
見える

まあ、あの八田氏も八田氏なりに、
自然に生きているのだから、
馬鹿にしてはならないが、
魚谷さんと二人で帰りしな、

「あの人は魚谷さんに、
ふさわしくない」

とつんけん言ったものだから、
魚谷さんは辛そうに、
無言で若葉の道を歩いている

「一人で暮らすほうがいいわ」

と私は強調する

「そうかもしれないけど・・・
歌子さんは強いけど、
私はそうつよくなれない・・・」

でも魚谷さんは、

「もういっぺん考えます」

といった

「そうなさいよ
へんなオジンの死に水取るだけに、
なるかもしれへん
結婚しても楽しいのは三月か半年・・・」

「その三月半年が貴重なんですもの」

何を心細いこというてるのや、
と思ったが帰って一人で飲んでいると、
嫁の言葉ではないが、
魚谷さんが弱いというより、
私が強すぎるのやないか、
そう思えてきた

強いのも才能の一つ

しかし、
自然に従う、
自然体でというのも、
なかなかできるこっちゃないのやな、
と私は気づくのである

まあ、よろし、
ただいまの時間は「老春」をたのしもう

生命維持装置も八田氏もにんまり湯も、
うち忘れて冷酒の味をたのしみ、
のどへ送り込むのである






          


(了)


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 12,姥ひや酒 ⑤ | トップ | 13、姥雲隠れ ① »
最新の画像もっと見る

「姥ざかり」田辺聖子作」カテゴリの最新記事