goo

反律法主義(クリスプ、エドワーズ、オーウェン)

反律法主義

トバイアス・クリスプ
『キリストさまだけ称えよう』
Tobias Crisp (1600-43)
Christ Alone Exalted (1643)
(Wing C6955, C6958)

愛しいみなさん、ここに神秘があります。……神さまの民の悪が
キリストさまの背中にのっているのです。……どういうことでしょう?
すみずみまで探してもイスラエルに悪がまったくないなんてことが
ありえるのでしょうか? そう――とエレミアはいいます――
「イスラエルのとがを探しても見当らない」、と。いや、イスラエルは
毎日罪を犯している、と思うかもしれません。でも、エレミア曰く、
主はその罪を見つけられません。なぜならキリストさまにその悪が
移っているからです。もう罪はないのです、ここにも、そこにも。
(2.86)

泥棒の比喩(クリスプから要約):
ある日泥棒が盗んだものをもって家に帰ってきた。が、友人が来て
彼の命を救うためその盗品をどこかにもって行った。その後警察による
徹底的な家宅捜索があるが、当然盗品はどこにも見つからない……。
この盗品こそ人間の罪であり、これを友なるイエスさまがどこかに
もって行ってくれたのである。
(2.86-87)

このような考えかたがもたらす不道徳について(同上):
キリストさまは常軌を逸したふるまいや男女関係に自由を認めたわけではない。
この自由を「肉の働く機会」(ガラテア5.13)としてはならない。
「神さまのお恵みを濫用してみだらなことをしてはいけません。」
「わたしは確信しています。そして、はっきりいいます。キリストさまに
よって自由にしていただいた人はみな、大胆に、貪欲に、罪を犯すことを
目標に生きるようになっています。キリストさまの血が流れたことによって
罪が許されたと思っているのです。」
(1.227-29; cf. 2.154-56)

-----
このような誰でも救済される、死んだら誰でも天国に行けるという
万人救済(universal redemption)の立場は、当然カルヴァン派の
予定説に対する抵抗であり、ピューリタン的な聖書原理主義一般に
対する抵抗でもあった。

バニヤンの描く「罪人のかしら」(the Chief of Sinners)のように
地獄落ちを極度に恐れ、信仰を守るために常に悪魔と戦っていなければ
ならない、という不条理な不安から人々を解放するために、
よりゆるやかな、心にやましいところのあるすべてのふつうの人間に
優しい教義が説かれるようになった。

クリスプはケンブリッジのクライスト・カレッジの卒業生
(在学1621-24)。ウィリアム・パーキンズの後輩で
ミルトンの先輩。しかもミルトンと同じブレッド・ストリートの
生まれ。

しかし……

律法から解放される =
十戒およびそこから派生する諸道徳に従う必要がない
(実際に、あるいは心のなかで)
人を殺してもいい、
姦淫をしてもいい
両親その他権威者をないがしろにしてもいい
(現代の言葉でいえば)
道徳も倫理も刑法も民法もみな無効
政治権力・警察権力も無視していい

当然、以下のような反発・批判が出る。

*****
トマス・エドワーズ
『壊疽:キリスト教諸分派の誤謬・異端思想・冒涜発言・有害活動一覧』
Thomas Edwards (1599-1647)
Gangraena (1645-)

1.
聖書は神の言葉ではない。(1.18)

21.
魂は体とともに死ぬ。(1.20-21)

22.
すべての被造物は神である。(1.21)

27.
イエス・キリストは神ではない。(1.21)

28.
イエス・キリストはわたしたちと同様原罪で汚れている。
……わたしたちより神聖ということはない。(1.21)

52.
聖霊により天国に行けると確信した者が殺人や飲酒をしても、
神はそれを罪とは考えない。(1.24)

59.
誰もアダムの罪を受け継いでいない。(1.24)

66.
道徳律はすべての信者に適用されるわけではない。信者は道徳律に
従わなくてもいい。道徳律に照らして生きかたを省みなくていい。
キリストを信じる者にこの法の強制力は及ばない。(1.25)

76.
信じる者は罪を犯さぬよう注意し気を配る必要がない。神がそう
望むなら神が気を配って罪を犯さないようにしてくれる。(1.26)

79.
神のこどもたちは犯した罪について許しを求めてはいけない。
その必要はないからすべきではない。許しを求めることは
神に対する冒涜である。(1.26)

105.
新生児を洗礼してもいいのなら十戒を破ってもいい。
そう、新生児を洗礼してもいいのなら姦淫をしても
殺人をしてもいい。(1.29)

120.
新約の下、安息日は守らなくていい。(1.30)

128.
説教師は学ばなくていい。本や学問は廃止すべきである。(1.30)

人を殺すこと、姦淫すること、人のものを盗むことは罪ではない。(2.8)
わたしは「有って有る者」である(2.8)
神はわたしの体のなかにいる。(3.10)
キリストは人間だけでなく、牛や馬のためにも死んだ。(3.36)

ーーーーー
上のようなおかしなことをいう人たちがいて
社会的に大問題、ということ。

エドワーズはケンブリッジ大の牧師だったりしたが、
アルミニウス派に傾く国教会から排除された。

*****
『この国に福音を広めるための提案』
Proposals for the Furtherance and Propagation of the
Gospel in This Nation (1652)

以下のキリスト教の原則に反する説教および印刷物出版をすべての
人に禁じていただきたい。聖書がはっきり断言しているように、
これらを信じることなしに救済はありえない。

1.
神について知り、また神の意に適う生きかたをするためには、
聖書に従わなくてはならない。聖書を信じない者、聖書以外の方法で
真理や神の心を知ろうとする者は天国に入ることができない。

3.
神は創造主であり、天国においでになる神聖なるお方であり、
すべての被創造物とは永遠に異なる存在である。

4.
イエス・キリストのみが神と人間の仲裁者である。このお方について
知らない者は天国に入れない。

5.
このイエス・キリストはまさしく神である。

10.
この主イエス・キリストはエルサレムで十字架にかけられて死に、
生き返り、そして天に昇ったお方のことである。

12.
すべての人間は本質的に罪と悪行に塗れて死んだ存在であり、
生まれ変わり、改悛し、そして信じることなしには天国に行くことができない。

14.
どのようなものであれ、またどんな口実や根拠があろうと、
罪とみなされることをする者は地獄に落ちる。

15.
すべての死者は墓から立ちあがり、最後の審判を受ける。これにより、
天国で永遠に生きる者と、地獄で永遠に呪われる者がわけられる。
(5ff.)

-----
共和国樹立後、反律法主義やそれがもたらす社会の混乱を
抑制すべく、ジョン・オーウェン(思想的にはカルヴァン派
にして黙示録的終末論者)らクロムウェルにとり立てられた
聖職者が出版したもの。キリスト教のABCの再確認。
オーウェンは軍の牧師やオックスフォード大の総長などを務めた。

*****
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )
« From Corbett,... From Augustin... »