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Jonson, "To Sir Cary and Sir Morison" (日本語訳)

ベン・ジョンソン (1572-1637)
「気高い二人、ルーシャス・ケアリ卿とH・モリソン卿との
友情を永遠に記念して」 (日本語訳)

(右から左へ移動しながら)
サグントの名高い子よ、誰もが知っている、
君があの大いなる年に生まれたことは。
あの怪物ハンニバルが、狂わんばかりの
征服欲を満たすために君たちの町を滅ぼしたあの年に。
君はあたりを見まわし、
この世に半分も出る前に、
かしこくも急いで戻っていき、
そして母の子宮を骨壺とした。
なんと完璧な円を君は残したことか、
もっとも深遠なる知恵の円を。中心が見えないほどの!
(1-10)

(左から右へ移動しながら)
思慮深い〈自然〉が君を引き戻したのか、
ハンニバルによる略奪を恐れ、嫌って。
この略奪により、つつしみ、信頼、栄誉、そして正義が、
踏みつぶされて横たわった。死の所業、闇の所業が、
駆りたてられ、急きたてられ、投げつけられるかのようになされ、
この世界を恐れおののかせた。
剣と、炎と、飢餓が、残虐な狂気といっしょになり、
あらゆるものを完全に壊滅させた。
すべての子にそのように悲惨な生が予見できたなら、
まちがいなく、みな君のように、生まれずに戻っていったのではないか?
(11-20)

(止まって)
というのも、生とは何か? 生きた時間の長さではかられていいのか?
何をしたか、ということでなく?
仮面の男は、その仮面で評価されるか?
実際の顔によってではなく?
ここに仲間よりも長く生きた者がいる。
これまで80年生きてきた。
が、彼は〈時間〉の邪魔者、国のやっかい者で、
敵にも友にも迷惑ばかりかけてきた。
しかも、何の意味や目的もなく。
そんなお騒がせ者はいったい何をしてきた? 死にそびれた、ということ以外に?
20歳で死ぬか、あるいはまっすぐに生きつづけていたら、どれだけよかったことか!
ここ60年、彼はろくなことをしてきていないのだから。
(21-32)

(右から左へ移動しながら)
生まれたときはよかった。美徳と知性で
評価され、まっとうな仕事で富を得た。
彼は、友と名声と名誉を手に入れ、
高貴なる者として、人々のあいだで名をあげた。
が、そのような飛翔に疲れ、
彼は、誰が見ても明らかなほど身を落とす。
卑しくも媚びへつらうようになり、また争うようになった。
あの生の死海に沈んでしまったのだ。
とても深く--流れる死の水をなめ、彼は死んでしまっていただろう、
爵位というコルクが彼を浮かせていてくれなかったならば。
(33-42)

(左から右へ移動しながら)
ああ、モリソンは若くして落ちた、倒れた。
いや、彼の心はけっして落ちなかった。落ちぶれているのはおまえ、わたしの口のほうだ。
彼はまっすぐ立っていた。最後の最後までりっぱな兵士、
非の打ちどころのない愛国者、気高き友で、
しかも徳高き息子だった。
どのような仕事も、
彼はすべて、余すところなく、完璧になしとげた。
どんな重さ、大きさ、数の仕事でも、申し分なく。
たとえ年齢的にまだ完成されていなくても、
彼は人間の完成形であった。
(43-52)

(止まって)
さあ、恐れとともに生きた日々を数えるがいい。
その一日一日を一年のように感じるがいい。
舞台に立ち、おまえの不幸を歌うがいい。
長く生きてきた気がするだろう。
日々押し寄せてきたさまざまなことを、くり返し語るがいい。
おまえが長くこの世にいたことが伝わるだろう、
ただそこにいただけで、生きてはこなかったことが。なぜなら、すばらしい人生とは、
しかるべきときにしかるべきものごとをなしとげ、
つくりあげ、そして世に示すことにあるのだから。
人生の歌において大切なのは、ひとつひとつの音が
どのように、どれほど美しく鳴り、そして響きあっているか、ということ。
人生の詩、人生のメロディは、このように書かれ、奏でられるべきもの。
(53-64)

(右から左へ移動しながら)
木のように育って
大きくなるということが、人をよくするわけではない。
また樫のように長く、300年も立っていればいいわけでもない。
最後には枯れ、葉を失って倒れ、丸太になるだけなのだから。
一日しか咲かない
5月のユリのほうがはるかに美しい、
たとえ咲いた日の夜に倒れ、枯れるとしても--
それは輝く草、輝く花。
小さくとも調和したものに、完璧な美しさがある。
たとえ短くても、人生は完成しうるのだ。
(65-74)

(左から右へ移動しながら)
だから、高貴なるルーシャス、ワインをもって来させ、
陽気に、顔を輝かせよう。
どうぞ、この花冠を頭に載せて。
そして考えよう、いや、そう理解しよう、君のモリソンは死んではいない、と。
彼は現世における生を跳びこえたのみ、
熱く神聖なる思いに駆られ、
あの輝く永遠の世界を見るために。
詩人であり司祭であるわたしたちは、その世界について、
幸せな人々に訪れるであろう真理を語る--
そこにモリソンは生きるのだ、この世でも記憶されつつ。わたし、ベン・
(75-84)

(止まって)
ジョンソンの歌ったこの詩によって記憶されつつ。みずから
最後の休息を得たときに
感じるであろう完全なるよろこびの一端を
あらわそうとした
この詩の描く、輝く星座のなかで記憶されつつ。
その星座が示すのは、切り離された友人たち、
(友ルーシャスと早く一緒になれるといい)
ふたご座のふた
ごの星たちが離れ離れで、
ハリーとその片割れである友が別れてしまっている。
しかし、運命が二つの星をそのように互い違いにしてしまったのだ、
あの星が天で、そしてこの光が地上で輝くように。
(85-96)

(右から左へ移動しながら)
そう、あなたがたは高くのぼった星のように輝く。
二人の友だが、ひとつの星のように。
二つの心がひとつになったかのように。その関係は、偶然や
契約によるものではなく、一時的な
利益のためのものでもない。
くだらない楽しみがゆかいな音を鳴らすことはなかった、
歌って騒ぐようなことはなかった、あなたがたの宴では。
飲んで乱れて暴れることもなければ、嘘の誓いもなかった。
あったのは、善と気高さに対する偽りのない愛だけ。
立派な心と気品をもって生きる人々を結びつけるのは、まさにこの愛。血縁などではない。
(97-106)

(左から右へ移動しながら)
だからこそ、まず
あなたがたは惹かれあい、引かれるように
動き、そして近づきあった。
たがいがたがいの一部となるくらいに。
最後には、称賛をこめて、たがいに
友の写し、と人にいわれるくらいに。
あなたがたの生により、その名は偉大なもの、
ある種の称号となった。みなが、みずからの
美徳を主張するときに名のるようなものに。完璧なことは、
「ケアリ」家あるいは「モリソン」家の者にしかできないのであった。
(107-16)

(止まって)
美しい模範、この二人の友情には大きな力がある。
彼らのすばらしい関係を見て、
それをみずから実践することはできなくても、人はうれしく思う。
そのような規範が、
まだ人類に残されていることがわかるのだから。
人は、そこに友情の姿を読みとる。
実際に友情が記されていることを知る。言葉によって、ではなく、
ペンによって、でもなく、心によって、
このように若い二人の友人たちの心によって。
この二人を歌う詩行こそ、友情の掟、友情の記録となるだろう。
彼らは、あごに産毛の花が咲きはじめる、その前に、
すでに友情の種をまき、そして果実を刈りとっていたのだ。
(117-28)

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Jonson, "To Sir Cary and Sir Morison" (英語テクスト)
「気高い二人、ルーシャス・ケアリ卿とH・モリソン卿との
友情を永遠に記念して」 (英語テクスト)

Jonson, "To Sir Cary and Sir Morison" (解説)
「気高い二人、ルーシャス・ケアリ卿とH・モリソン卿との
友情を永遠に記念して」 (解説)

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